スタッフブログ

2017年1月30日|

新しい年の始まり

 今年の私の目標は、アサーションの組織トレーナ―の資格を取得することです。
 今年は、JIELの研究員としてアサーション、感情の取り扱い、コミュニケーションを中心として活動の幅を広げていきたいと思っています。
 私は、長年、看護の世界にいましたが、現場でいろいろなミス・コミュニケーションを見てきましたし、自分自身でも実際にいろいろな場面でのコミュニケーションで、問題になりアクシデントとなっていました。本当にふとした不用意な言葉を使いコミュニケーションをしたことで、相手を傷つけることになり、怒りをかってしまったことがあります。
 また、自分では、正しいことを言ったつもりでも、それが自分の想像を超えて厳しく受け止められて、「辛い」と、そして「もっと優しい言葉を使ってほしい」と言われたことがあります。
そのことは、私にとっては、とても衝撃的な一言でした。しかし、言ってもらえたことは、非常に有難いとも思いました。言われなければ、きっとその人のためになると信じて同じような言葉を言い続けていたと思うからです。
 私のようなことは、きっと他の人も経験したり、思い当たることがあるのではないかと思うのです。だからこそ、今年もコミュニケーションについて学びを深めていきたいと思います。


2017年1月1日|

青い鳥-2017年の思い

 私自身が「幸せ」というものに引き寄せられたのは、1990年代のブラジルから戻ってきたころだったと思います。
 大学を出て、会社に入り、社会人となってバブル期を経験しました。会社で働くさまざまな部署の人、ブラジルから出稼ぎでやってきた日系人、海外で出会った現地で働く日本人の姿や現地の人たちの生活などをみてきました。
 会社を離れ、ブラジルで生活を始めました。駐在する者としてでなく、生活する者として生きる体験は、また違った視点と感覚を植えつけました。
 インドでの長旅もそれに輪をかけるほど影響のあるものでした。自分のもつ常識がこうも覆され、一気に白髪が増えました。それでもインドとインド人に底知れず魅了されました。

 

 自分のことで精一杯でした。自分のことしか考える器しかありませんでした。日本は豊かな国といわれますが、日本人で自分は幸せだと思う比率はどうもその豊かさに比例しているものではないようです。2011年の「一人当たりGDPと主観的幸福の国際比較」によれば、日本より幸福度が高い国はスイス、ドイツを始めナイジェリア、ガーナ、コロンビア、ウズベキスタンなどがあげられています(2011、世界幸福データベースおよびIMF資料)。

 

 20世紀後半にマーチン・セリグマン博士を代表にポジティブ心理学が台頭し始めました。クーパーライダー教授らが創始したアプリシエイティブ・インクワイアリーは1987年に提唱されています。そのどちらにも表れてくるのは、ポジティブということばです。

 

 チルチルミチルはおばあさんに頼まれて、青い鳥を探す旅に出かけます。いろいろな体験をしながら青い鳥を探しましたが、見つかりません。結局家に戻り、おばあさんに詫びます。そのおばあさんはもともとチルチルミチルの家にいた鳥を欲しがりました。その鳥は青くはなかったのですが、よくみるとチルチルミチルが旅に出る前よりずっと青くなっていることに気づきます。チルチルミチルはおばあさんに青い鳥をさしだし、それでおばあさんの娘はすっかり元気になります。

 

 身の回りにあるもの、自分の身にふるかかってくること、それ自体は青くはないかもしれません。自分がそれを感じ、受け止め、受け容れ、青く消化していく、青く熟成させていく、そのプロセスと思考、そこで発現されることが自分の青さを深めていくことになるのではないか、と思います。

 

 青い鳥は、こうしてお話を終えます。
 「チルチルミチルは、幸福とは気がつかないだけで、身の回りに潜んでいるもの。しかも自分のためだけでなく、他人のために求めるとき、それははかりしれなく大きくなることを知ったのです」。


2016年12月29日|

仕事納めの「クレーム対応コミュニケーション研修」

 今年の研修の仕事納めは、「クレーム対応コミュニケーション研修」の終日版でした。
 愛知県老人福祉施設協議会が主催する生活相談員研修で、81名の方々が集まってくださいました。

 

 「クレーム対応」はコミュニケーションだけでできるものではありませんが、コミュニケーションによりお互いの関係を話ができる状態にすることで、その先の展開へとつないでいくことができます。そこで、研修ではクレームの一次対応として望ましいあり方を講義するとともに、事例を通じて望ましい応答のポイントを体験的に理解していただき、ロールプレイを交えて実践できるようにしていきました。

 

 この「クレーム対応コミュニケーション研修」の原型は、今年3月にある医療法人で行った2時間の研修でした。講義内容はそのときの内容に凝縮されていて、マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によるNVC(Nonviolent Communication)を応用して考えたものです。それを理解していただくためには、こちらから提示する画一的な事例への取り組みだけでなく、参加者各自が日常の事例を用いて検討することがてきると、より実践的な理解が深まると思っていました。

 

 仕事納めの「クレーム対応コミュニケーション研修」では、その考えを実現することができ、生活相談員の方々がそれぞれの日常での出来事や取り組みを語り合い、グループで望ましい応答を検討することができました。参加者アンケートには「他施設での取り組みを知ることができてよかった」とお書きになった方が何名かいて、知識を得るだけでなく、その場の交流を通じた学びあいができることの大切さを実感しました。

 

 1日の研修といっても、始まってしまえば「あっという間」です。どのような気づきを得て、何を持ち帰るかは人それぞれですが、クレーム対応に必要な「人としてお互いを大切にするスピリット」は、研修の場でも体感していただけるといいなと思っています。


2016年12月26日|

年の瀬に思うこと

今年、一番の出来事は夫がタイから戻ってきたことです。
今まで、話したいときにすぐに話ができなくてストレスが溜まっていました。私の一番のストレス発散は、夫に一日の出来事を話し、夫に聴いてもらえることでした。だから、夫が単身赴任でいない時は、ストレスがたまることが多かったと思います。何気ない日々の出来事を語ることが何よりも大切な時間でした。
そして、やっと単身赴任前と同じような環境になれて何よりだと思うのです。
普通の生活を送ることが、なににもまして幸せだと実感しています。また、いつもいる人がいないととても寂しいものだということも知ることができました。
これからは、いつもそばにいてくれるのでほっとしています。


2016年12月18日|

また1年を過ごして

今年も残り2週間ほどになった。
師走とはよく言ったもので、日ごろ落ち着いた師さえも走るほど忙しいということのようだ。

一年一年歳をとる度に分母が大きくなるので、一年が短く感じる様になるそうだ。
この一年は、私にとって印象深い年になった。
特に大きなイベントがあったということではない。
しかし、人との関係や自分の所属している組織のことを、こんなに気にかけた年もあまりない。
あと数年で人生一回りの還暦を迎えるような歳になって、
「ちょっと考えてみなさい」という神のお告げだったのかもしれない。
還暦って本当に人生の節目になるのですね。
できるなら良い方に舵取りしたいものですが、答えが出るのはずっと先になるのでしょうね。

こんなことをつらつらと考え、ブログに書くのも師走だからでしょうか。
私の今年最後の仕事は、椙山女学園大学での26日の授業。
2016年の残された時間を自分だけのことではなく、相手と共に過ごすという観点で考えて過ごしたいものです。

そして、2017年が素敵な年になりますように。

皆様、今年もお世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いします。


2016年12月1日|

自己をならうというは

 歳をとったなあ、と思わせることにこの歳になるとたびたび出くわします。
 飲んでいたとき、骨付きのでかい肉の塊が出てきました。「はじめ人間ギャートルズだ!」といったら、「なんですか、それ?」といわれた。えっ!ギャートルズ、知らないの?テレビ、家になかったんじゃない?とうそぶく。
 学生のころ住んでいた街を何十年ぶりかに歩く。通っていた銭湯や大衆食堂は今はなく、えっ!まだあったの?と古い下宿先の2階の窓にかかったカーテンを見上げる。
 新聞を開く。死亡欄や会葬のお礼の文字に目がいく。
 ちょっと痛いところやぷっくりふくらんだところに気づいて、えっ!ガン?腫瘍?
 最初にトマトとか野菜から食べ始めたほうがいい、とか話がいつの間にか健康や病気の話になっている。
 勤めていた会社で同期だったヤツの喪中はがき。これは泣けた。なぜか泣けた。

 

 髪の毛や、皮膚のシミやしわや、肉体の変化はそれを取り繕おうとしても真実を覆い隠すことはできず。あれやそれということばが増え、この人の名前なんだったかな?と目の前にいる人がだれだったかわからなくなったりする。
 道元禅師はいいました。

 

 自己をはこびて万法を修證するを迷とす、万法すすみて自己を修證するはさとりなり。
 (いろんなことを考えているこの小さな自己をもっていって、万法の中で価値判断をするというようなことは迷いだ。自分の小さな考えをもっていて、ああでもない、こうでもないと、いろんなことを批判しながら生きていかなければならないような生き方が迷いだ。そうでなくて、外の姿に催されて、万法が自分を運んだくれるのだ-余語翠巖(1990)「自己をならうというは」地湧社)

 

 余語翠巖さんがいうには、自分というものがあったり、仏道というものがあったり、迷いというものがあったり、悟りというものがあったりというように、二つずつ並べてどっちがどっちという世界ではない。二つあれば、それが迷いだ。二つあるから迷うのだ。一つなら迷いはない。
 人も、物も、すべてが移り、変わっていく、来し方行く末の時間軸の中で、まるごとの存在がある。
 あるテレビ番組で残ったことばがあります。
 「運命ではない。運命にするのよ」

                 


2016年11月21日|

玄関のシャコバサボテン

私の家の玄関には、シャコバサボテンがあります。
いつからあるのかも忘れてしまった。
でも、このシャコバサボテンが律儀に花をつけてくれる。
もちろん、咲いてない時期の方が長いのだが、
さして手入れをするわけでもなく、ひどいときは水遣りだって怠っているのにである。
だから何となく、長年我が家の玄関にいて、他のものに場所を奪われていない。
そして私にとっては、愛しい(ちょっと大袈裟)存在になっている。 

こういうのっていいなと思う。
いつも気にしてあれこれしなくても、何となく存在は感じてもらえて、
そして時々ちょっと相手を癒したり、喜ばせたり。

シャコバサボテンは、時々葉(?)を黄色くして節目でぽろっと落ちる。
その時は、もう少し気にかけなくっちゃと思うのだが・・・

またもう少しで、花が咲きそうだ。


2016年11月2日|

霜月-1年の剪定

 植え木の剪定に来てもらいました。といっても専門の業者、というのではなく、ここ数年シルバー人材センターから派遣されてくる人に頼んでいます。
 剪定というものはどうやって値段が決まるのかわからずじまいで、業者のいいなりのようなところがありました。3年前、なにかの拍子でシルバー人材センターに電話を入れたら何日か後に家にやってきました。見積もりを出す、とのことです。
 話を聞くと、木の本数や種類によって値段が異なるそうで、その場で見積もってくれました。値段としては手頃ということもありますが、見積もりの積算がわかることが安心につながります。
 例年は2人で来るところですが、今年は都合がつかないみたいで1人で来ました。話をすると高校の先輩であることがわかり、そんなこともあってこの3年はその先輩がやってきます。
 彼はなかなかおもしろい経歴の持ち主です。教育系の大学に行き、教員になりました。5年経ったころ、今でいうモンスター・ペアレントとやりあい、退職。その後、大手メーカーに奉職し、定年まで勤め上げる。定年後に職業訓練校に入り(授業料は無料)、剪定の勉強をし、今に至る、ということです。
 経済的に困っているので働き続けている、という印象をもちません。おそらく庭いじりが好きで、身体を動かすことを厭わない、収入は二の次、という印象です。だからといって手を抜いているようには見受けられないし、手際よく庭に生えた草も抜いていってくれます。そして「ここは1月ころになったら根にカリウムの入った肥料をやったほうがいい」とかアドバイスをしてくれます。伸びすぎたガクアジサイも芽を残して適度にカットしてくれました。

 

 小さい庭ですが、1年も経てば枝は伸びる、葉は茂る、草は生える、と見た目も雑な感じを受けます。たぶん自分の心も1年経ってあちこちにほつれや雑さが現れていることだろうと思います。どこの部分を、どこまで、どのように剪定するか、自分自身に鋏を入れることはなかなかむずかしいことです。雑は雑であってもそれなりに味があるともいえそうですが、荒れていてそれに気づいておらず、麻痺でもしているとすると、心はすさみ、病んでいくような気がします。
 これから年末に向けて寒さが深まっていきます。寒くなるほど鋏をもつ手も鈍くなる。でも、ちょうどこの時期に剪定をするのは、冬を迎え、寒さに耐え、それを力に変え、春につなげるための準備なのかもしれません。


2016年10月22日|

第5回体験学習実践研究会「リストラティブサークル」

 「そんなに簡単に人は変わらないよ」と言われたとき、私は「そう思いますか?意外に人って変わるものだと思います。視点を変えたり、考え方が変わったりすると、行動が変わりますから」と答えました。

 

 アサーション・トレーニングやマーシャル・B・ローゼンバーグのNVC(Nonviolent Communication)と出会って、言葉をどのように使うかによって自分の見方が変わり、相手に対する見方やその場で抱く感情にも変化があることを知りました。それは新しい理論や方法を知り理解することで、それまで自分が抱いていた疑問が晴れて、自分が視点を変えれば、自分の見ている世界を変えることができるのだと気づいた瞬間でした。

 

 私にとってアサーションやNVCは、今の自分の考え方やモノの見方に欠かせないものです。とはいえ、攻撃的な言葉や評価的な見方に直面して怒りを覚え、反発して、自分も攻撃的な言葉で反撃し、相手を評価することもあります。「これはスゴイ」と思う理論や方法に出会うと、それが「できる人」と「できない人」に気づく評価的な見方が働き、個人の中にも、対人間にも葛藤が起こります。「できる人」、「できない人」ではなく、正確には「できる場面」、「できない場面」で、誰にでも攻撃的に相手を責めたり、自分を責めたりすることはあるのですが。「できる」を「正しい」、「できない」を「間違っている」と置き換えるとさらにわかりやすいかもしれません。今の社会ではよくあることでしょう。

 

 「できない」と批判・非難が飛んでくる現代のあり方を踏まえて、「誰もが攻撃的になることなく、自分や相手の存在を受け容れられるコミュニケーションの仕組みをみんなでつくっていこう」というのが、本日13:30~ JIELで開催される第5回体験学習実践研究会でご紹介する「リストラティブサークル」です。リストラティブサークル・ジャパンの長田誠司さんに話題提供していただきます。さて、どんな内容になるでしょうか。私も楽しみです。

 

第5回体験学習実践研究会:リストラティブ・サークル(RC)の理論と「聴く」ことの力


2016年10月1日|

玉ねぎは、富士の裾野の名産品(!?)

 居間の電球が切れたので近くの家電量販店に行くことにしました。その店は2階にあり、1階はスーパーマーケットです。
 スーパーを覗くと段ボール箱に山ほどの玉ねぎが。200円でビニール袋に詰め放題です。ビニール袋に手が伸びました。袋に玉ねぎをひとつ、ふたつと入れ始めます。
「はじめに袋を広げないと」
ととなりにいたおばあさんが袋の中に両手を入れ、伸ばすしぐさをして教えてくれました。なるほど!と思い、入れた玉ねぎを戻し、破れない程度に袋を広げます。ひとつ、ふたつ、みっつ、・・・。いつつでいっぱいになり、もう入らないと思ったら、袋が取り上げられました。
「旦那さん、奥さんにたのまれたんだろ」
旦那さん - 久しく聞かないことばに、旦那さんは電球を買いにきただけで、奥さんに頼まれたはずもなく、たまたま200円詰め放題に気が引かれただけで・・・。おばあさんはさらに袋を広げながら、「丸いのはだめ。先のとがったもの、もってきて」と。結果、ななつ(!)。

 

 9月17日から21日までTグループ・ファシリテーター・トレーニングがありました。参加された人は全部で8セッションの間に2回のTグループのトレーナーを体験する、それを参加した他の人からフィードバックをもらう、という内容です。参加された皆さんはすべてTグループを体験されていますが、トレーナー体験は初めての人がほとんどです。2回のチャレンジのなかでペアの人とどんなふうにしていくか検討をし、セッションに臨む、自分たちの役割が終わり、フィードバックをもらってセッションが終える、終わったのにその後もふたりになり、互いに語り合う。その語り合う時間が日を追うごとに増えていく様子を見ます。
 スタッフとして私もフィードバックをするひとりです。時間とお金を使ってここに来ている皆さんにできる限りのことはしたい、たくさんの学びを持ち帰って日常にいかしてもらえたら、そんな思いがあります。
 私は良かれと思い、袋を取っていないだろうか。ビニール袋を無理に広げようとしてはいないだろうか。玉ねぎをできる限り多く詰め込もうとしていないだろうか。丸い玉ねぎでなく、とがった玉ねぎを詰めようとしていないだろうか、今はいつつで十分なのかもしれないのに。

 

 「せめてお名前を」と聞いても「名乗るほどの者ではありません」と答えるだろうおばあさんは、振り向くことなくレジに向かっていきました。
 あれから1週間。我が家にはむっつの玉ねぎがねむっています。


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