樹を植える2018
“コーヒーを育てるより 人を育てよ”
日本からブラジルに移住し、現地で熱心に教育活動に携わった人のことばだと教えられました。
「そうはいってもまずコーヒーを育てんと人も育てられんわな」
そんな声も聞きました。
何年生だったか高校の現国の授業で先生がいいました。
「『人はパンのみにて生きるにあらず』と聖書はいいますが、これには別の意がある。どういうものだと思うか」
すると同級生のひとりが答えました。
「それでも人は生きるのにパンが必要だ」
その答に先生がうなずいていたことが今でも記憶に残っています。その先生は年度末に退職され、大学院に進まれました。
“たとえ世界が明日終わりであっても 私は林檎の樹を植える”
マルティン・ルターは世界の終わりに向けてリンゴを植えたいと思ったかもしれないけれど、でもあえてわざわざリンゴの樹としたところにルターの確信がある。
不将不逆 応而不蔵
至人の心を用いるは鏡のごとし
将(おく)らず
逆(むか)えず
応じて
蔵(おさ)めず
荘子はいいました。でもこのとき、荘子は木を植えることは語っていません(他のところでいっているかもしれませんが)。
木を植えればやがては育つ。否、今育てること、育つことに心血を注ぐ、そのことが自らを育てることになるとすれば、そのプロセスがいかようなものであれ、過ぎ去ったことも将来のことも映さない鏡として今を生きることになる。
なんの樹を植えようか。