Tグループ 2月清泉寮
2月10日から15日までの5泊6日間。前泊するスタッフは7日間の清泉寮で行われた第7回Tグループが“無事”終了しました。“無事”といったのは、事務局として参加した私にとって参加された皆さんが特に大きく体調を崩されることもなく、清泉寮本館前から送迎バスに乗って清里駅に向かわれたことをいっています。
今回のTグループは寒い時期である2月の開催というなかで、清泉寮ハンターホール棟は止水されているためにボイラーが働かず、部屋の暖房は石油ストーブ、清泉寮の方に毎朝水のタンクを4つ運んで用意していただくという過酷な状況でした。寒さを訴える人もいてなんとかストーブを増やしたり、増やせば増やしたで灯油臭くて頭が痛くなり、CO₂検査機がセッション中になりだしたり、飲んだコップを洗うことができなかったり、トイレはアンドレ棟まで行かなければならなかったり、と過酷な状況の中で13名の皆さんと生活を共にした6日間でした。
私は事務局でしたのでほとんど参加者の皆さんと話す機会はありません。話す機会はないのですが、事務局であるということで皆さんの様子や状況は常に見ておく必要が求められます。とはいうものの、セッション中は見ることはありませんので、全体会のときや食事のときがその任務を遂行する時間となります。レストランでは同じテーブルにすわった人、とはいっても隣か正面にすわった人くらいしか話すことはできません。話はしますが清泉寮のレストランの窓から眺められる景色、出される食事、私の無理やり笑わせようとするダジャレくらいの軽い話です。
私としてはTグループのセッションという多少なりとも緊張を強いられる時空間の後に少し気分を切り替え、リラックスし、クスッとするくらいの笑いができて次のセッションに新たに向かっていってもらえたら、という気もちをもってかかわりたいと思っていました。それとともにそうした中で参加者の皆さんお一人おひとりがが今どんな表情で、どんな様子で、どんな体調でいるのかを見て、知っておくというのが私個人の役割という認識をもっていました。
私は食事の時間もTグループである、と思っています。その時に一スタッフとして参加されている皆さんにできることはなにか、を常に考えていたいと思っていました。それはオブザーバーで参加された人、事務局として参加された人に対しても同じです。そして、スタッフとして集まった人たちも私にとっては参加者と同じです。5泊6日、6泊7日のすべての時間と空間がTグループである間、参加するすべての人がかかわったり、かかわらなかったり、動いたり、動かなかったりしながら、その人なりの学びを得、ここから新たに旅立っていく、そのファシリテーションをするのが事務局としての私の役割と思っています。
最終日にアンケートをお願いしています。アンケートにはとくに事務局について書かれていることはありませんでした。ちょっとさびしいというのが本音にはありますが、でもそれはほんとうにうれしいのです。
雨にもまけず 風にもまけず 雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫なからだをもち 欲はなく 決して怒らず いつもしずかにわらっている (中略) あらゆることを じぶんをかんじょうに入れずに よくみききしわかり そしてわすれず (中略) ひでりのときはなみだをながし さむさのなつはオロオロあるき みんなにデクノボーとよばれ ほめられもせず くにもされず そういうものに わたしはなりたい 宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」