スタッフブログ

2017年9月1日|

清里は今日は晴れだった

 6月25日に起きた地震により、残念ながらおんたけ休暇村での実施が困難になり、8月の繁忙期ではあったのですが、幸い清里のキャンプ施設を確保、場所を変更することができました。第3回ESDスペシャリスト育成講座が無事、開催されることになりました。
 第2回では、環境教育など実践されている方を講師にお招きし、その活動内容もさることながら、それぞれの人の思いなども知ることができ、充実した一日でした。というのも、2日間あった2日目は暴風警報が発令され、東京など遠路から来られている方が帰れなくなることも予想されたことから中止の判断になりました。
 気を取り直しての今回の清里での開催となってほっとしたのですが、開催初日の朝は雨模様。雨だからといって野外活動をしないということではありませんが、でもせっかくなら晴れたほうがいい。晴女ののりちゃんが参加者の一人だったおかげもあって、皆さんが集まる午後からは一転して晴れだし、気持ちのいい夏の緑の空気の中での開会となりました。
 まずは今回の講師をお願いしたキープ協会のインタープリターである鳥屋尾さんとともに野外に出て自然体験をします。吹く風の音、鳥のさえずりを聴きながら、自分が自然に一体となっていくことを感じます。日ごろは時間を気にし、時間に管理されて動いている自分が時間から解放され、今目の前にあるもの、耳に入ってくるもの、触れるもの、空気のにおいにも気を留め、受け入れ、感じます。いつもだと見えていないものに目を向け、気にもしていないことに網を張り、通り過ぎていくものにもなにかを感じる時空となります。煩雑な、長い目で見ればそれは本当に大切なことなのか、今そこに自分のエネルギーのすべてをかける意味がどれだけあるのか、そんな日常が今は木々や一枚の葉っぱや鳥の鳴き声に打ち消されます。
 私たちが得たものはなにか、そして失ってしまったものはなにか。変わるもの、変わらないもの、変えられるもの、変えないようにできるもの。そのために私たちが変わらなくてはならないことはなんなのか。
 たぶん私たちは環境教育というカテゴリーのなかに、私たちのありようが問われ、日常の生きざまが問われ、その行動が問われているのだ、と思いました。

 

 自然体験をした後、受講されている皆さんはグループに分かれ、レシピをもとにプログラムづくりに入りました。夜は一同に会し、ワインや差し入れの焼酎をいただきながら語り合いました。それぞれの人が自分のことを語ること、それが集まる時間と空間がひとつになる。森に囲まれたコテージは、夜の動物たちに暗闇をあげるためにできるだけ明かりを落とし、それがまた私たちをひとつにしていくのを感じます。
 2日目はグループごとにインタープリター役になり、野外での実践となりました。それぞれのグループが思考を凝らし、ユニークな実習が出来上がりました。


2017年8月29日|

「スピリットベアにふれた島」

 NVC(Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)は「修復的司法」に則った言語です。「修復的司法」とは、他者に困難や打撃を与えた加害者を裁いたり、罰したりする「応報的司法」とは違い、話し合いを通じて加害者が自分を見つめ直す機会を提供し、自分の責任を自覚して被害者の回復に尽力することで、加害者と被害者がつながりを取り戻し、加害者自身が立ち直っていくプロセスを指します。……と説明すると、概念的で難しそうですが、この「スピリットベアにふれた島」を一読すると「こういうことか~」とよくわかります。

 

 ハードカバーのこの本は児童文学で厚いものの、読み始めると物語の世界へグイグイと引き込む力があります。怒りに支配されていた主人公がどうなっていくのか。リアルで生易しい夢物語ではない世界がそこにはあります。関係者と話し合いへの参加を希望する人たちが、全員でサークルになって、キーパーの進行のもとで話し合う「サークル・ジャスティス」の様子や、過酷で偉大な自然、孤独、そして怒りと向き合うシーンも出てきます。

 

 昨年の第5回体験学習実践研究会で、この「サークル・ジャスティス」の対話の手法である「リストラティブ・サークル」を長田誠司さんにご紹介いただきました。そのときに(リストラティブ・サークルやNVCは)「葛藤をなくすわけではない」と言っていましたが、「スピリットベアにふれた島」を読むと修復的司法のなかにも葛藤があることがわかります。自分との葛藤も、他者との葛藤も並大抵ではないけれど、葛藤を乗り越えるときに人の強さと偉大さが見えると思いました。

 

 自分や他者とのつながりは本当にかけがえのないものです。

 

「スピリットベアにふれた島」 ベン・マイケルセン
http://amzn.to/2xqPbNf


2017年8月8日|

ESDスペシャリスト育成講座-第2回の学び

 8月6日に最初に登壇されたのは水谷央さんです。水谷さんは現在NPO法人 もりの学舎自然学校の代表理事を務め、もりの学舎を中心として愛知県内各地で主にインタープリターとして活動しています。
 「子どもたちが、多様な可能性を見つけることができる社会の形成」、「子どもたちが、自分で感じ、考えて、実現できる力を身につける」、「子どもたちが「力」を身につけるためのサポートができる大人を育成する」
 「自然はツール」という水谷さんや水谷さんのお仲間たちの思いは、自然とともに、自然を活かして、私たちと、私たちの子どもたち、私たちの未来とどう関係をつくり、どう描き、どう創造していくか、という深淵なものをもち、でも実際の行動は身近にある自然とのふれあいにある、ということを感じました。

 

 次に話をされたのは山田俊行さんです。トヨタ白川郷自然學校の學校長で、白川郷からプラグイン・ハイブリッド車で来られました。トヨタの名前から想像できるように、トヨタのCSR=Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)の姿勢が形で表れているものです。商品をただ売りさえすればいいというのではなく、売った先のこと、売る前のことを考える、そのことが企業の思想に影響を与え、そのものの存在と継続にも影響を与える。北海道の昆布漁師が昆布の取れる量が少なくなったとき、山に入り、山を育てる活動をした話を思い出しました。この世の中は大きく循環しているとすれば、人も、自然も、企業も共に育ち、共に生きる、共育と共生をどうしていくか、自然と時間とをあわせたコンセンサスが大切と感じました。

 

 3人目は西村仁志さんです。広島修道大学人間環境学部の教授をされていて、今回の話は公害教育です。日本の経済を牽引した企業は負の遺産も残しました。4大公害ばかりでなく、日本各地で企業活動が優先され、そこから排出されるものに目が届かない実情がありました。今や公害ということばもおそらく子どもたちにとっては新鮮な響きをもつかもしれないほど対策がとられ、西村さんの話によれば原因企業も含めた地域での集まりや話し合いもされているとのことです。

 

 東日本大震災で多くの町が損壊しました。津波に飲まれた建物を震災遺構として残すかどうかの話し合いがされていると聞きます。家族や友人をなくされた方にとっては見るだけでつらい思いをされることと思います。ただ、語り部の皆さんも歳を取ります。今の子どもたちにとってスマホはあって当たり前であり、ゲームを遊び、ラインを使うことも自然なことです。それはいいかえれば、以前はあったけれど今はない、ということも当たり前のこと、自然なことということでしょう。公害も今となってはなんの話?と子どもたちに思えてしまうのも仕方のないことかもしれません。

 

 3人のお話を聞いて思ったことがあります。ESDはEducation for Sustainable Development(持続可能な開発のための教育)です。持続するということ、そのなかには失われたもの、埋もれたものでそれを未来につなげていく、引き継いでいく、そこには人が、人として、他の人とどう生きていくか、未来の人にもつながる核となるものとそれをつなげていく責任が私たちにあるのではないか、ということです。

 

 話を聞いて感じたのは、3人ともESDとは、といったことが念頭にあって、それだから活動をしているというわけではなく、ご自身の興味や関心、好きなことにかかわり、取り組んで、ひいてはそれが教育に結びついている。郡上からトヨタ白川郷自然學校までのロング・トレイルを計画・整備中という話がでて、それに行ってみたいという声が聞こえたとき、そうやって自分たちがやる、楽しむ、その体験を話す、伝える、そうしたこともESDの広まりにつながるんだな、と感じました。


2017年8月2日|

今だけが「今」じゃない、ためのアクションへ

 7月22日に今年度から始まったJIEL主催「ESDスペシャリスト育成プロジェクト」の第1回講座が開かれました。
 ESDとは”Education for Sustainable Development”の頭文字をとったもので、「持続可能な開発のための教育」と訳されています。

 

 どのようなことでも
 七代先の子どもたちのことを
 考えて決めよ

 

 ネイティブ・アメリカンのことばは、私たちの命は私たちだけのものではないことを教えてくれます。

 

 今だけが「今」じゃない

 

 私たちの作成したESDプロジェクトのパンフレットにこのコピーを載せました。今を生きている私たちは、今をどう生きるかを考え、悩み、行動することができます。その行動のなかに未来の子供たちがどう生き、悩み、行動するかを問う「今」を含めたらどうかと思います。

 

 第1回講座で講師を務めていただいた川嶋直さんからはSDGsの紹介もありました。SDGsとは”Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)”のことで、2015年に国連で採択された目標です。2030年までに17の目標を達成することを目指します。
 直さんが行ったワークに私も参加しました。A6サイズの紙にESDと自分の接点や思うことなどを書き出していきます。思いつくままにペンを走らせると、自分のなかで起こっていることが次々とつながりをもって現れます。SDGsは17の目標を掲げている、その目標が達成されたとき、人は幸せになるのだろうか、否、そこが幸せのための到達地点ではない、そこに至るプロセスのなかに幸せはあるのではないか。「真の幸福とは、徳のある人生を生き、価値ある行為をすることによって得られる」というアリストテレスはそれを「ユーダイモニックな幸福」といっていて、「達成をめざす過程の状態がユーダイモニアであり、それを手に入れた状態がヘドニア」であるなら、どうもそこに幸せを見出すつながりがあるのではないか。そこで思ったのは、SDGs=”Shiyawase Development Goals”。
 直さんがいっていましたがESDからASDへ、それはAction for Sustainable Development。

 

 あなたがどれくらいお金を持っているかには
 興味はない
 わたしが知りたいのは 悲しみのとき 絶望の夜
 あなたがこどもたちのために
 自分のしなくてはいけないことを
 できるかどうかだ

 

 (出典:しおうらしんたろう(2006)「ネイティブ・インデアンのこころがよろこぶことば」東京書籍)


2017年7月4日|

ブラ千葉

 ブラタモリが名古屋にやってきました。
 巷ではタモリさんが名古屋のことを馬鹿にしていて、だから名古屋にはやってこないんだ、といううわさがありました。これまで日本の各地をあちこち訪れていたのに名古屋を通過するのは腑に落ちない、おそらくブラタモリが最終回になるときに名古屋にやってくるのではないか、と私は勝手に想像していました。そのブラタモリが名古屋にやってきました。
 名古屋地域の視聴率は高かったようですが、それに貢献した一人が私です。名古屋生まれの名古屋育ちの私ですが、名古屋城から熱田神宮にかけてのブラタモリを見ていて自転車で出かけられるところに住んでいる私にとっても新鮮な話がいっぱいありました。清州から引っ越してきて名古屋が計画的につくられた町であることは知っていましたが、大阪の町と違ってあの碁盤の目(一つのブロックが約100メートルなんだとか)のどの方角にも建物の正面をつくり、ブロックの真ん中はお寺だったり、集会場だったりしたなどということは初耳でした(今は多くはタワーパーキングとなっているそうで・・・)。堀川は人工河川であることはわかっていますが、名古屋城のある台地のへりにつくったのではなく、へりよりも少し高いところを掘って、洪水のときなどに溢れないようにしたという話も初めてでした。住んでいる街なのに知らない歴史がある。

 

 日本のあちこちからお呼びの声をかけていただくことはありがたいことです。これまでいろいろな町を訪れました。先日は千葉に行きました。
 千葉に行くのは2回目だったのですが、先回は日帰りだったし、あっという間の滞在期間で千葉という町がどんな町なのかを感じることなく帰ってきてしまいました。
 今回はご依頼主様のご配慮で前泊することができました。ご厚意に甘えて少々早めに着き、ブラハヤシをします。まず名古屋との違いを感じるのは、道が入り組んでいるところ。名古屋の町に慣れているとすぐに東西南北がわかりますが、千葉はそういうわけにいきません。ちなみに人に道を尋ねられると「あの角を右に行って、その次の角を左に曲がって」といいますが、名古屋人は「あの角を東に行って、その次の角を南に曲がって」と東西南北を使うのが当たり前だと思っています。千葉ではそれは通用しません。
 駅前であっても町が凝縮している感じがあって、人は動いているのだけれど単位面積当たりの人の数が多く感じられます。つまりひしめき合っている感じ。外国人も多いようですが、どちらかというと東南アジア系が多い印象を受けます。おそらくこれは千葉市民の自慢のひとつと思いますが、世界一長いモノレールが走っている。電車と違って足のすぐ下は空間かと思うと遊園地の乗り物気分でそれだけで楽しくなりますが、おそらく千葉市民はすでにその感覚は慣れてしまっていると思います。
 駅の中心部を離れるといたって静かな住宅街です。私は山手のほうにはいかず、今回は海のほうをブラハヤシしたのですが、おそらく埋立地なのでしょう、新しい街づくりがされています。マンションが建設され、公園も整い、京葉線も走っているので、東京方面で働いている人がこうした新しい町に居を構えているのだろうと思いました。
 見知らぬ町に行くと地元のスーパーマーケットに行きたくなるのですが、ホテルの人に聞いても駅近辺にはないようです。デパ地下はあってもスーパーはないので地元の特色のある食べ物や商品が見られたらと思った期待はかなえられませんでした。

 

 こうやって自分の知らない町を歩いたりしていると、自分のことをよく知ることにつながると思います。住んでいる名古屋ですら知らないことも多く、そのことから自分のことを知る機会を増やすことができるわけですから、知らない町を、知らない人たちと短い時間であっても同じ空気を吸うことは自分のことに気づくことになると思えます。
 遠い名古屋の地から及びいただいて次の日は講習を行いました。立場としては講師ですが、それは受講生の皆さまとのバックグランドや経験の違いがあり、よその地からの違いもあって、そのことが受講生の皆さまの学びをより深いものにする機会にもなる、なればな、と思いました。


2017年6月1日|

キャベツ

 2月の終わりだったか3月の初めのころにホームセンターに行ってキャベツの苗を見つけました。「持っていって」と苗がいうので、別々の種類のキャベツを3つ持ち帰り、家の庭の小さな花壇に植えました。
 植え初めのころは伸びるかな、枯れないかな、と思いながら目をやり、水をやる毎日でした。3つ並べて植えたひとつが枯れてしまいました。他のふたつを枯らしてなるものか、とこまめに水をやってはいました。しかし、育たない。
 育たないとみると、水やりの間隔もあき、気にかけなくなりました。

 

 4月も中旬に入ったころだったか、目をやるとひとつのほうは小さく丸みを帯びた玉ができている。もうひとつのほうはというと、まったく玉をつくる気配もなく、ただ茎がどんどん伸び始めた。目に見えて生長を知ることがわからなかったのは、たぶん気温が低かったせいで、植物もまだその時期を待っていたのだろう、と思いました。それにしてもひとつの苗のほうはキャベツなのか、別の野菜なのか。
 自分の期待に添うように見えるとまたかわいがりたくなってくる。毎日毎日少しの生長を探すようになる。立てば這え、這えば歩め、と同じ気持ちなのか、毎日の生長が待ち遠しい。そうなると今度はいつ頃が収穫時かが悩ましくなる。その悩ましさが楽しみにもなる。

 

 結局5月半ばに紫キャベツを収穫することにしました。でも、根元を切ろうとするとためらいが湧いてきます。いとおしい気持ちが起こってきて、鋏をいれられません。もうひとつのほうはどうもキャベツではなかったみたいで、きれいな小さい黄色の花をたくさん咲かせてくれましたが、ためらいなくカットしました。

 

 その夜の紫キャベツはサラダにして食べました。少しかたかったですが、おいしくいただきました。
 自分の都合や、自分の思い描く期待に添うものには目をかける、そこに至らないと待てない自分がいる。生長には人がしてやれること、環境や条件、そしてそのもののもつ力と時期を信じて待つことが大事ということを思い知らされました。

 

 今はミニ・トマトが植えられています。大きく育てよ、ミニだけど。


2017年5月1日|

醸し出されるものの時期

 読みたい本、読もうとする本と本の狭間の時があります。あるいはその類の本は今は見たくもない、という時。
 本棚を探ってみると、もう何年も前に読んだ本が目に留まりました。

 

 「皆さんの周囲にはいろいろな人がいるが、だれでも長所と短所がある。皆さんはその多くの周囲の人たちの長所を見ることに努力していただきたい。短所は、まあ見ておく必要もありますけれど、あまり骨を折って見なくてもよろしい。そして、甲君の長所はこういう点や、乙君の長所はこういうところや、じゃあ甲君に対してはこの長所を伸ばすように協力しよう、乙君の長所にはこういうところに協力しようというような事柄に興味がわいてくる。そしてその人に対してそういう行動をいたしますと、皆さんの周囲が非常に明るくなってくるし、非常に成果があがってくると思うんです。同時にまた周囲の人が、皆さん自身の長所というものに協力してくれるようになる」

 

 びっくりしました。1962年のことです。松下幸之助がおそらく松下電器の社員に向けて話した講話だと思います。
 今でこそAI(アプリシエイティブ・インクワイアリ-)などポジティブなアプローチが広まり、私などはそれをすんなり受け止めていますが、1962年といったら日本のバブル期よりずっと前の話です。別の本でも彼が、同じ時期に「これからは心の時代や」といっていたフレーズがあったのを思い出します。

 

 「百の国があれば百の花が咲く、みな花が違う。みな花が違うが、しかし花としてのそれぞれの趣がみんな味わえる、鑑賞できる。しかもその花が相交差して咲いて、非常な錦を織りますというような、見事なものになってくるところに、私は世の姿というものがあるのではないかと思うんです。(中略)いろいろの形のものが相調和して、そこにさらにより高き美を生み出すところに、ほんとうの美というものがあるのではないかと思います。」

 

 同じ本に1958年の講話が載っていました、「私は同じものが二つないというように、世の中がつくられていると思うんです。そこにそれぞれの特色というもの、個性というもの、それぞれの使命というものがある。そういうものが相交差して社会を形成している。そこに社会美というものが見いだされるわけです」と締めくくられています。

 

 何十年も前にこの本を読んだときには、それほど心に残っていなかったのでしょう。すっかり読んだことは忘れています。松下電器はこういう考えをもった人がいて、いやいたからこそ成長できたのだろう、と思います。長い年月をかけて熟成され、絞り出された醤油のような、コクのある味に浸った気分になりました。今、出会うべき時に出会う本があります。

出典:松下幸之助(2010)「人生と仕事のついて知っておいてほしいこと」株式会社PHP研究所


2017年4月27日|

近くの公園にて

私は、看護師の仕事を辞めて、夫から体力が落ちるから運動をしたほうがいいよと言われて、自宅近くの川沿いの公園をウオーキングしています。
ちょうど、4月はじめには、桜が咲き、そして桜と共に菜の花が咲いているところがあり思わず写真に撮りました。
日本人というのは、本当に桜が好きなのだと思いますが、近所の公園にも様々な国の方がお花見しています。
また、私も同様皆さんも写真を撮っていました。外国の方も自国にはない桜の美しさに心奪われている感じでした。
今まで、忙しくて散歩をすることもあまりありませんでしたが、自宅近くにこんなに素晴らしい花々咲いている公園があり驚きました。
たぶん、私が知らなかっただけで皆さんは知っていたのでしょうが、自分のまわりを見渡すとたぶん気がついていない素晴らしいことがたくさんあるのではないかと思っています


2017年4月2日|

グループプレセス・コンサルタント・トレーニング

 最近、私をかわいがってくれている先輩と久々に会いました。その時に「あいつ、どうしています?」と尋ねました。
 あいつ、とは私より3つか4つ年下の後輩のことです。性格は温厚、人当たりもよく、語学堪能、有能な後輩は今どうしているのか、気になって聞いてみました。
 「あいつなぁ、今はずされてるわ」。言葉に詰まりました。なんでも部下からパワハラと訴えられ、会社がそれを取り上げた結果の処遇だったようです。今、組織では上司が部下に対して下手な言葉をかけられない、だから上司はなにもいえない、なにもいわない、そんなことを他の会社の人と話すと、うちもそうだ、という返事が返ってくる、ということでした。
 こうやって書くと若い部下を一方的に悪者扱いにしてしまっている私のおじさんが出てきてしまうのですが、おそらく部下は部下で上司とどう関係をつくっていくか、どう関係を保っていくかといった懸念と苦悩にさいなまれている状況もあるのかもしれないのだろう、という思いもわいてきます。

 

 3月17日から20日の4泊5日でグループプロセス・コンサルタント(GPC)・トレーニングが合宿形式で行われました。14名の方が東京から、沖縄からと参加いただきました。コンサルタントと銘打っていますが、必ずしもコンサルタントの人たちばかりではありません。このトレーニング以前にTグループに参加したことがある人もいれば、私たちが提供している研修に初めて参加される人もいらっしゃいました。
 多種多様な人々が限られた時間と場ではあるのですが、その中で「組織活動」を繰り返します。コンサルタント役の人は、特にそこで起こるグループプロセスに焦点を当て、グループのダイナミックスをどう生産性や効率性につなげていくか、結果を出すか、そのチャレンジを繰り返します。アプリシエイティブな、ポジティブなアプローチでもって、いつ、だれに向けて、どのように働きかけるかを自分に問いかけ、やってみる、の連続で、終わった後はへとへとです。
 へとへとの後にフィードバックがされるのですが、私が感じる限りではこのフィードバックがあることでコンサルタント役の人は元気と勇気を充填できたのでは、と感じました。そこではコンサルタント役の人のプロセスを大切にする参加者の人たちのアプリシエイティブなかかわりがありました。
 こうしたセッションの積み重ねがまさにその場で初めてできた「組織」の成長を成熟へともたらした、という印象をもちました。その「組織」の成果物もとてもユニークなものが出来上がり、一時はどうなるものかと思った私の懸念はただの杞憂にしかすぎませんでした。チームのありようをもっと信頼せねば、と思いました。

 

 「目にみえるつらさと目に見えないつらさがあるんだよね。それを表に出すか出さないかだけです」
 今場所、優勝を逃した照ノ富士の両ひざからここ数年、サポーターがないのを見たことがありません。表に出すのがいいのかよくないのかはわかりません。でも、その人にはその人なりのありようがある。一所懸命のありようがあります。一所懸命になれる、一所懸命が報われる、一所懸命がなにかを動かし、変えられる。コンサルタントとしてだけでなく、GPCとして担える役割は幅は広い、そう思わせる体験でした。

 


2017年3月29日|

退職

 私は、看護師として29年間働いてきました。看護専門学校を卒業して7年働いたのちに一度は、育児のために退職をして、平成7年に再就職をして現在に至りました。
ふりかえってみるとあっという間でした。今までいろいろな科で仕事をしてきましたが、最後の8年間は、産婦人科病棟で出産から看取りまでという「人の一生」に携わってこれたことは本当に貴重な体験でした。そして、他の科では経験できなかった様々な出来事を経て、看護師としても人としても成長することができたと思います。
 そして、ある患者さんとの出来事は、看護の在り方を考えさせられるものでした。
 その患者さんは、がんの痛みによる苦痛を訴え、何とか苦痛が緩和できるように主治医はじめ薬剤師を交えて鎮痛剤を検討していました。その患者さんは「痛みをなんとかしてとってほしい」ということをいつも私たちに訴えてきました。しかし、実際に麻薬による薬剤の増量を提案すると拒否をされるということがあり、薬剤師さんも私もどうにもできない状況が続いていました。
 ある時にベッドサイドで薬剤増量について話し合いに行くと険しい表情で「鈴木さんは、厳しいのよね」と言われました。その患者さん曰く、「麻薬を増量するたびに、死に近づくようで怖いのよ。でも、痛いのも辛い。自分でも薬を増やしたほうがいいことはわかっているのよ」、さらに、「もっと優しくしてほしいのよ」と言われました。
 その時に、自分はその患者さんのために良かれと思い、薬剤の増量を説明してきました。しかし、その患者さんは、「死への恐怖」にさいなまれており、そのことをわかっていないことに気づきました。
私は、表面的なことしか、見えておらず、心の奥深くで苦しんでいる声を聴いていないことを実感しました。その後、その患者さんとは何度も話し合い、信頼関係を深めていくことができました。最後に「鈴木さんが担当でよかった」と言ってもらえたことが何よりうれしくて、その方の最期まで看護させてもらえたことが私の貴重な学びでした。
 これからは、看護師として働くことはないですが、今ままで看護の世界で経験してきたことを今後に生かしていきたいと思います。


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