スタッフブログ

2018年1月3日|

樹を植える2018

 “コーヒーを育てるより 人を育てよ”
 日本からブラジルに移住し、現地で熱心に教育活動に携わった人のことばだと教えられました。
 「そうはいってもまずコーヒーを育てんと人も育てられんわな」
 そんな声も聞きました。

 

 何年生だったか高校の現国の授業で先生がいいました。
 「『人はパンのみにて生きるにあらず』と聖書はいいますが、これには別の意がある。どういうものだと思うか」
 すると同級生のひとりが答えました。
 「それでも人は生きるのにパンが必要だ」
 その答に先生がうなずいていたことが今でも記憶に残っています。その先生は年度末に退職され、大学院に進まれました。

 

 “たとえ世界が明日終わりであっても 私は林檎の樹を植える”
  マルティン・ルターは世界の終わりに向けてリンゴを植えたいと思ったかもしれないけれど、でもあえてわざわざリンゴの樹としたところにルターの確信がある。

 

 不将不逆 応而不蔵

 

 至人の心を用いるは鏡のごとし
 将(おく)らず
 逆(むか)えず
 応じて
 蔵(おさ)めず

 

 荘子はいいました。でもこのとき、荘子は木を植えることは語っていません(他のところでいっているかもしれませんが)。
 木を植えればやがては育つ。否、今育てること、育つことに心血を注ぐ、そのことが自らを育てることになるとすれば、そのプロセスがいかようなものであれ、過ぎ去ったことも将来のことも映さない鏡として今を生きることになる。
 なんの樹を植えようか。
 


2017年12月26日|

今はまだ

 朝日が昇るから起きるんじゃなくて
 目覚めるときだから旅をする
 教えられるものに別れを告げて
 届かないものを身近に感じて

 

 スイッチを入れると流れたくる音は拓郎でした。
 あれは高校生のときだっただろうか、彼の歌に引かれ、カセットテープに録音し、楽曲集を買い、ギターのコードを覚え、歌う。
 拓郎の歌が日常にありました。

 

 あれから何十年も過ぎた。
 今、何十年ぶりかに拓郎の歌を耳にする。
 あの時と違う、あの頃とは異なる歌、歌の意味、歌の重さ。
 なぜか涙が出てきてしまいました。

 

 超えていけ そこを
 超えていけ それを

 

 今、語れるものがあるか、だれか語れる人がいるか、どう語るか。

 

 今はまだ 人生を語れず。


2017年12月2日|

ESD研究会にいってきました

 中部地方ESD活動支援センターが主催するESD研究会に行ってきました。テーマは「SDGsと企業」です。
 環境省の方からあいさつに始まり、続けて住友理工株式会社CSR部長さんからの「SDGsに向けた企業の動き」、事例紹介としてユニー株式会社、井村屋株式会社のそれぞれCSR部長、生産管理部長さんが発表されました。株式会社マルワさんはHCCからも近いところにある企画・デザイン・印刷会社で、中小企業でありながらCSRにその企業価値を置いて成長していこうとしてる会社として取り組まれていることの紹介がありました。その後、企業、自治体、NPOなどの多様な20名超の参加者が3グループをつくり、それぞれのグループで「SDGsを組織に浸透させるためには」というテーマで話し合いの時間をもちました。

 

 本年度からJIELはESDスペシャリスト育成講座をスタートさせました。これはとくに代表が環境教育にかかわりがあったこともあるのですが、JIELのミッションとESDと重なるところが多い、というよりJIELとしてめざす社会にESDの取り組みがひとつの形として適応している、といっていいと思っています。ESDスペシャリスト育成講座は、これまで現場で実践されている活動家の方々が実践することに時間をかけるが、他の実践者や後継者を育てるまでの余裕がない、といった声を聞いているところから、JIELがそうした実践者を育てる“実践者”を育成することでJIELなりの貢献ができるのではないか、という思いが込められています。
 今回、ESD研究会に参加し、思うことは、なぜ今SDGsを声高にいわなければならないのだろうか、ということです。多くの人は年を取るにつれ、食事に気をつけたり、運動を心がけたりします。若いころは別に気にもかけなかった身体や心の声に耳を傾ける機会が増えていきます。それは長生きをしたいためかもしれないし、病気をして苦しむのが嫌だから、ということもあるかもしれません。今、体調が思わしくないわけではないにもかかわらず、先の自分を思いつつ自分になにかを気に留めたり、課したりします。
 地球も年を取りました。実際あちらこちらが病んでいます。それをさらに侵襲させるか、治癒させるか、あるいはこの状態を維持させるのか、私たちが自分の身体やこころをいたわるように、地球を自分の身体や心としてどういたわっていくかが問われています。いかに自分事としてとらえられるか。そのためにJIELが、私ができることはなにか。

 

 コーディネーターの新海さんと話をしていると、彼女の切実な思いが伝わってきます。ああ、この人はいのちをかけているな、地球の、人類の存続と成長に自分のからだを張っているな、と思えます。それことがESDだな、と思えます。
 


2017年12月1日|

伝えたいことを語る言葉を持つ

 ある市の教務・校務主任の先生がたを対象に、アサーション入門「私もあなたも大切にするコミュニケーション」の研修を行いました。

 

 90分、1コマ分のお話とワークをして、今日は話しながら再認識したこと、実感したことがいくつもありました。なかでも後半、アサーティブになるためのアイデアとして、感情とニーズに注目するマーシャル・B・ローゼンバーグのNVCについて話していたとき、「人はありがとうとお願いしか言っていない」という彼の言葉が自分のなかでストンと腹に落ちたことは、私の小さな転機になったような気がします。

 

 おかげで最後は自分のニーズ、アイデンティティにつながって、その場しのぎの表面的な言葉ではなく、自分が今、伝えたいことをまっすぐに相手に伝えられる言葉を持つことこそ、自分を大切にして生きることに他ならないとお伝えすることができました。

 

 人が語る言葉はその人をつくり、その人の人間関係をつくります。だから、自分の人生を生きるために、自分の感情やニーズを表現する言葉をもつこと、他者の感情やニーズに関心を持ってかかわることは欠かせません。

 

 先週からJIELの受託研修が続き、今日はそのラストでしたが、ご依頼くださった先生のアサーションへの強い関心と温かなまなざしが今日の場をつくってくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。


2017年11月21日|

バルナラビリティ

 vulnerability.
 院を修了し、その後もしつこく研究生として居続けてゼミ生の先輩面をしながら現役生の修論にいちゃもんをつけていた頃、ひとりの院生が入ってきました。インド人の彼は流暢な日本語を使い、彼の研究を話します。その研究テーマのなかの一単語が「バルナラビリティ」でした。恥ずかしながら初めて耳にする単語でどんな意味かわからない。日本語に訳すと「脆弱性」という意味のようです。彼の研究が何だったのか忘れましたが、この単語は忘れませんでした。彼は無事修士課程を終え、その後ヨーロッパの某大学の博士課程に入学しました。

 

 スタンフォード大学にはマインドフルネス教室があるそうです。日系2世であるスティーブン・マーフィ重松が担当し、どんなことをしているかを「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」で語っています(2016、講談社)。スタンフォード大学はアメリカでも名だたる大学で、全米から優秀な学生が集まってきます。そんな彼らに「弱さ」を話しているのだそうです。
 スタンフォード大学にも入れるほどの優秀な学生なればこそそこまでの人生も一所懸命がんばってきただろうし、成績も運動もその他の活動も努力を尽くしてきたのだろうと思います。そして大学に入り、自分が優秀であり、優秀であり続けなければならないといった呪縛ともいえるようなもの、ディスコースに縛られているかもしれない。平静のなかで自分を見つめ、自分の弱さに気づき、自分の弱さを認める。
 重松さんの意図するところとは違うかもしれませんが、自己と対話しながら自分のありようを確かめ、受け容れる、そうした禅的なものが西洋社会にも求められているのだろうと思います。「強さ」は私たちにとってエネルギーを与えるものであるだろうし、自分の存在を際立たせ、鼓舞させるものかもしれません。でも、「弱さ」もたぶん、私たちにとって大切なもののように思います。

 

 先日テレビを見ていたら、豊橋科学技術大学がニュースで取り上げられていました。今、「弱いロボット」を開発しているのだそうです。「弱いロボット」だから人との「人的な」つながりが生まれやすいとするなら、人同士だって人のもつ「弱さ」が「強み」にもなる。そんなことを思いました。


2017年11月12日|

T病院で「リーダーシップ2研修」ができるようになるまで

私は、東京都内のT病院研修で「リーダーシップ2研修」を行っている。実は、この病院はとてもご縁のある病院であり、今の私があるのもこの病院の研修存在にあると言っても言い過ぎではないぐらいの思い入れがいっぱい詰まった病院なのである。この病院の研修を長年星野欣生先生がされていることを知り、かつて私がいた病院でT病院と同じような研修を実施したくて南山大学大学院で必死に勉強していた。このT病院では、その当時、合宿形式でとても丁寧に研修を行っていた。私がいた病院では、とても合宿は無理だけれど、少しでもラボラトリー方式の体験学習をすることが私の目標になった。
 私が、初めてラボラトリー方式の体験学習に出遭い、人間関係トレーニングをすることが看護師の教育の中でとても重要で大切であると確信していた。しかし、当時の私は、嘱託職員でいわゆるパート看護師であり、そんな私が病院でコミュニケーションやリーダーシップの研修をしたいと言って、病院の中ですぐにできるわけがなかった。

とにかく、看護師として働いていたので、外部講師をすることも今のようにままならず、職場の同僚に遠慮しながら看護学校の非常勤講師を行っていた。
また、自分が当時働いていたのは、外来だったので、外来の仲間数人に声をかけて、コミュニケーションや接遇研修などを学習会の一つとしてさせてもらっているような状況であった。

地道な活動であったが、外部講師の依頼が少しずつ増えていき、自分の職場でクリニカルラダーに沿って、「コミュニケーション研修」、「リーダーシップ研修」、「ファシリテーション研修」をすることが曲がりなりにもできるようになった。(現在、退職してからも引き続き研修には携わっている。)
 その後、星野先生と一緒に神奈川県看護協会の仕事を一緒にしているときに、このT病院での研修に同行させてもらう機会があり、その時のご縁で現在、「コミュニケーション」、「リーダーシップ2」などの研修をさせてもらっている。最初にこの病院の師長さんが全国日本体験学習研究会での発表を聞かせてもらったのは確か2006年であったと思う。それから11年という歳月を経て今の私がいる。
11月11日に「リーダーシップ2研修」を終えて東京から戻ってきた。いつも、この研修をするたびに思うことは、この研修に携わることができて幸せだということである。


2017年11月3日|

マインドフルネス

 「日本人は何も言わないし、何を考えているのか、意見があるのかないのかわからない。それで日本人の成績はよくないのだ」、と聞いたことがあります。ひと昔以上も前のことなので、今はどうなっているか定かではありませんが、自分がわからないことなら(人がどう思おうと)なんでも質問する(らしい)欧米人との違いが日本人の留学生にはあるようです。それを文化的な違いといっていいのかどうかわかりませんが、確かに自分の学生時代のことを思っても、今の学生を見てみても、自分から挙手して質問をしたり、もう一度説明を求められるということはほとんどありません。でも、グローバリゼーションという名が徐々に浸透していくなかで、こうした環境も徐々に変わっていくのだろう、と思っていました。
 国内外で人の移動が増え、流入流出定住が進むと、そこには新たなスタンダードが生まれます。おそらくそれはデファクトなグローバル・スタンダードとして確立していき、大波に飲み込まれていく日本人を想像していました。ところが、一概にそうとは言えないかもしれない。
 いわゆる西洋は西洋でそれなりの行き詰まりといったらいいのか、立ち止まりというのか、これまでのやり方や進め方、もっというと生き方に対して問いかける、自問するという流れがあるような気がします。

 

 マインドフルネスということばが広まっています。何冊か読んでみました。当初それは瞑想のやり方とかの方法を述べているものなのかな、と思っていました。実際にはそうではなく、ただ単に呼吸に集中すればよいということではなく、そこには西洋で生きてきた歴史的文化的な背景に東洋の思想や宗教が混ぜ合わさり、むしろこれまでの生き方を問われ、人として、この地球という場で包摂しながらいかに豊かに、いかに幸せに生を創造していくか、そのためのこころのありようを見つめてみよう、という思いを感じます。
 今、保守主義であったり、ナショナリズムであったりと、どちらかといえば内向きの方向に進んでいるように思いますが、それはどうも全体にあってより混じり合いが深まる(深まらざるをえない)なかであるからこその突出した傾向なのかな、と思います。

 

 もう30年近くも前、永平寺にいって座禅をしたのを思い出します。高々3日の参禅でどうのこうのというのはおこがましいですが、宇宙の中に自分がいて、自分のなかに宇宙はある、そんな気がしています。


2017年11月2日|

春から、冬の出会いへ

 今年の春にミニトマトの苗を植えました。枝はどんどん伸び、支柱を立てましたがそれでも足らず、ひさしからひもをぶら下げ、ひもで枝をくくりましたがひさしの高さを超えんばかりでした。でしたがその割には実はあまりならない。仕事先の“家庭菜園の先輩”の先生に聞くと、それは手入れが悪い、の一言。実のなる枝を残し、無駄な枝は切る。そうしないと必要な養分が実に集まらない、それに肥料も・・・、などと講釈が続きました。
 それでも夏場になれば多少の実はつき、赤くなったものをもいで食べればなかなか甘い。去年ほどではないけれど、今年もそこそこ収穫がありました。収穫があるとうれしい。で、今11月。そろそろ根を抜いて冬野菜にしようか、と思っているのにどうしたものか実がたくさんなっている、ただし青い。こいつらが赤くなるのを待って、それからキャベツでも、と思っているのに、青いのが全然赤くならない。少し赤くなってきたかな、と見てみると、なにやら虫が食ったのか穴が開いている。この寒さのせいか、上のほうから葉っぱが枯れだした。どうにも見極めが必要な時期に来ているようです(むしろ見極めが遅い)。たくさん食べることはなかったとしても、こうして十分楽しませてもらったので、それはありがたく納めることにして思い立ったのは別のこと。

 

 プールに泳ぎに行きます。そこの駐車場には秋になるとザクロが実をつける。以前書いたこともありますが、昔家にザクロがあったせいか、ザクロへの思いがなぜか強い。実は一週間ほど前に実がはじけているのを見つけ、これはスタッフの人にいってもらっていこうと思ったのだけれど、なにをためらったのかその時はカウンターに戻ってスタッフに言うのをめんどくさがってしまった。その一週間後、例の台風のせいなのか、実はあえなく落ちた。今割れて食べごろなのは3メートルくらいの高さのところにある。届かない。
 ものごとにはタイミングというものがあります。あるいは縁といってもいいかもしれません。あえなくザクロはあきらめましたが、実はもう一つのアイデアがあったのでした。

 

 かりん。その駐車場にはこの時期、かりんもなっているのでした。あのかりんをいつかは何とかしたい、と思っていたので今がタイミングと思い、スタッフにいいました。「あのちょっと頼みたいんだけど、かりんがなってますよね。あれもらっていってもいいかな」。もう常連になっているからなのからなのか、二つ返事でOK。そこで4ついただきました。
 ずっと梅酒をつくっていなかったために放ったらかしになっている広口ビンを洗います。お湯を沸かし、熱湯で消毒。後は自然乾燥。かりんはお湯で洗って2~3日おいたほうが密が出やすいそうなので、これを今からしましょう。後は氷砂糖とホワイトリカーを買いに行かないといけません。
 ミニトマトは日一日と生長し、気づかないうちに実がなり、それを食するという喜びがあります。果実酒は生長はないけれど、熟成するという変化がある。
 出会いの時季と縁。それは図らずして訪れ、仕組まれ、だからこそ変化できる。そういうように開かれているようにしていることをマインドフルネス、といってもいいんでしょうか。


2017年10月23日|

「気づく」:実践 人間関係づくりファシリテーション 第5章

10月21日に実践 人間関係づくりファシリテーションの第4章「観る」と第5章「気づく」を岸田美穂さんと共に実施しました。
参加者は3名と少なかったのですが、午前中に「観る」ということで2人の会話を他の2人が観察し、観察したことをフォードバックするという実習のあとに「気づく」の実習をしました。

この実習は、以前研究員であった山岸裕さんが執筆された章であり、私自体、自分で行うことは初めての試みでした。
実習「私の心の窓」は「ジョハリの窓」をもとに行う実習であり、「自己開示」と「フィードバック」を丁寧に行うものです。今回は少人数の参加者であったことで、午前中の「観る」の実習の中でかなり率直に実習の時にそれぞれの参加者がどんな思い、気持ちで実習を行っていたかを語っていただけました。
そして、誰のどのような意見も聴き、すべて肯定的受け止め、時には、自分でも説明のつかない「突然の涙」や「笑いすぎての涙」と感情があふれ出し、ありのままでいることで、そこにいる人のどんな行為もほかの人の救いになることを体験していただきました。
参加者の方より、こんなにも「安全の場であること」がいかに人間関係の学びと気づきを深くするものだと実感した1日でした。

しかし、深い気づきと学びは、自分の中で受け止めることにも時間が必要であり、「頭の中が沸騰している」と表現された方もいて、講座を修了するときには、クールダウンすることの大切さを改めて感じる講座でもありました。

今回、3人という参加者の中で開催で、参加者中には本当に実施されるのかを不安に思われた方のいましたが、この3人を大切にしながら行った今回の講座は私の大切な宝物を一つとなりました。


2017年10月3日|

赤チン

 扁桃腺を切っていません。兄がいますが、兄は切りました。昔は扁桃腺を切っていたそうですが、なぜか兄と私の間の年くらいから扁桃腺は切らなくてもいい、というふうになったと聞いたことがあります。
 扁桃腺を切らなかったせいか、その後はとくに季節の変わり目だったり、冬の寒さの間に喉が痛くなります。つまり、扁桃腺が腫れます。扁桃腺が腫れ、喉が痛くなると、塗るものがありました。ルゴールです。針金よりも少し太い棒状のものが、端っこは丸い形をして指が入れられるようにしてあり、もう一方の端は棒をねじった形状をしています。脱脂綿をもってきて、適当な大きさに切り、それをそのねじれているところに巻きつけます。取れにくくするためのねじれです。脱脂綿がしっかりつくと、それをルゴールの瓶に突っ込みます。ルゴール液を吸った脱脂綿を口を開けた奥にある扁桃腺に塗ります。そうするとむせて、むせて。でも、よく効きました。
 過日、喉に痛みがあったので、ドラッグストアに行きました。店員さんに「ルゴールください」といったら、「それはなんですか?」と聞かれました。ルゴールは市民権をもう得ていないようです。

 

 「最近、おたんちんって聞きませんね」と車を運転中にラジオからの声がいっていました。確かにおたんちんは昔はよく使ったと思いますが、いつの間にか言葉遺産になってしまったようです。天花粉もその価値がありそうです。子どものころは、特に夏の風呂上りにあれはパフというのでしょうか、それに粉をつけ、全身に塗ってもらった思い出があります。当時、天花粉の入れ物は紙製だったような記憶があります。天花粉はその後、シッカロールと、そして今はベビーパウダーというサラッとした名前になりました。でも、なぜ天の花の粉なのか?これも言葉遺産に登録されてしまったのでしょうか?

 

 最近の若い人たちは今でも使うのかどうか知りませんが、「たわけ」とか「やっとかめ」といった名古屋弁は、私は由緒ある言葉だと思います。田を分けることの愚かさを評した言葉ですし、久しぶりに会うのを「八十日目」というのは、なんとなく楽しい気分にさせてくれます。
 歴史に詳しいわけではないですが、江戸幕府開府のときに多くの三河武士が江戸に下向したことを考えると、江戸の言葉のベースになったのは三河弁だっただろうし、そこにいろいろなところから江戸の街に集まってきて商人や町人になった人たちの言葉が入り混じって東京弁ができたとするなら、三河弁特有の言葉が残っているのではないか、という気がします。ですが、「じゃんだらりん」を代表する三河弁の言葉で残っているものはあるのでしょうか。ひょっとして「じゃん」という言葉は、あれは三河弁が残っている、ということでしょうか?

 

 おそらく江戸に居ついた三河武士の言葉は、町人言葉に駆逐されたのだろうと思います。言葉は生き物なのでしょう、姿を変え、扱われ方を変え、イメージを変えます。
 「赤チンって知ってる?」と聞いたら、そこは看護学生、みんな知っていました。「でも、今はないですよ」、「え?なんでないの?」、「赤チンには水銀が入っているから、使わないんです」・・・。
 時代とともに言葉は変わりますが、商品も変わります。
 でも、「~じゃね?」という若者言葉は、どうにも受けつけがたい私です。


カテゴリー

最新の10件

過去ログ