スタッフブログ

2016年3月28日|

年度末で思うこと

今回のブログは私の近況をお伝えしようと思っています。私にとって大きな出来事として、4月から嘱託職員として働くことにしました。
今までは、看護が大好きで育児期間は嘱託職員として働くことにしていましたが、実父が亡くなったことをきっかけにして正規職員として働いてきました。看護師は様々ことを特に看取り通して「死」と「生」を非常に考えさせられたことが大きいと思います。
看護師として亡くなる前の患者さんと接するときに、私という人間が問われることが非常に多くありました。この経験はファシリテーションにもつながるところがあり、自分自身の生き方や人とのかかわり方が、最終的には問われるのだということを身に染みて感じることが多かったのです。
患者さんとともに泣き、そして笑い、ぶつかりながら、すごく葛藤しながら、それでも看取り、看取られていく一期一会の感覚を味わい仕事させてもらい多くの恵みを得ることができました。
しかしながら、年々失われていく体力と気力を感じながら看護師と研修の講師を引き受けていくことの限界を感じて、看護師から、ファシリテーターとしての私にシフトしていく準備期にしようと思ったのです。


2016年3月14日|

第2回Tグループのフォローアップ研修

昨日3月13日(日)は昨年12月に開催された第2回Tグループのフォローアップ研修でした。山梨・清泉寮で参加者の皆さんとお別れしてから3か月、名古屋は原のHCCにて再会いたしました。沖縄、福岡、大阪、京都、名古屋、東京・・・日本全国からのお土産でお茶のコーナーが埋め尽くされ、さながら全国物産展のようでした。3か月前にお互いに呼び合っていた名前で声を掛け合い、再会を楽しみました。
研修の中でTグループ後の3か月をふりかえり、互いの話に耳を傾けました。さまざまな出来事が起こりながらも、それを捉える視点が大きく変化したことが感じられました。またその変化を素直に共に喜び励ましあう仲間たちもいました。いい場だな~しみじみ思いました。それはスタッフチームが作ったものではなく、この場にいる全員が率直にいることで作り上げた場でした。
人生のうちのたった5泊6日なのに、なぜこんな関係になれたのでしょう!?不思議でなりません。またTグループの魅力にひかれていく私でした。あの場で集中的に体験したことが、この私たちが生きる社会で実現できることも夢ではないと信じられる1日でした。


2016年3月7日|

多様性を大切にするということ

 体験からの学びの場をつくるときに「多様性を大切にする」ことの重要性がよく語られます。
 組織やグループは放っておくと同質性の高い集団になりがちで、何かやろうとすると発想が似ていたりします。人は無意識のうちに他者の期待や傾向を読み、それに合わせようとする面がきっとあるのではないでしょうか。だからこそ作業効率が上がることもあり、悪いことばかりではないのですが、新しい発想や現状の変革のためには異質な人の存在が必要です。組織やグループでは生産性や創造性、自由闊達な風土、持続可能性等の観点から「多様性を大切にする」ことが必要なのです。

 

 そして、街や社会となると話はもっと切実です。
 世の中には本当にいろいろな人がいます。年齢、性別、職業、健康状態、能力、性格、経済状態、倫理観、……実に人それぞれ。そんな一人ひとりの人間に「健康で文化的な生活を送る」権利があり、自由があります。

 

 少し前に鉄道事故で亡くなった認知症の高齢者の家族が、鉄道会社に訴えられていた裁判の最高裁判決が下りました。そのケースでは家族に監督義務を認めることはできないという判決で、家族の賠償責任は問われませんでした。鉄道会社の損害はともかく、きっとその判決に安堵した人も多いのではないかと思います。高齢化社会の進展とともに認知症患者も増えていて、その一人ひとりに人権があります。そうした認知症患者の人権をいかに大切にするか。「多様性を大切にする」ことが問われる時代の局面だと思います。

 

 ラボラトリーの学びの場では、他者だけでなく自分の人権をいかに大切にできるかを問われることがよくあります。自分が感じたことや考えたことはいくら強く感じ、深く考えても、言動や態度で表さなければ他者にはわかりません。自分の中の感情、思考でしかなければ、他者は現実のものとして認知できないからです。それなのに「他者と違うから」自分が言えなかったとしたら、表現できなかったとしたら、自分が自分の多様性をスルーしたことになります。このような場面に行き詰まりを感じて、私は「アサーション・トレーニング」を始めました。「アサーション・トレーニング」は私にとって、ラボラトリーで、日常で「多様性を大切にする」ための方法の一つなのです。

 

 今年のJIEL公開講座「アサーション・トレーニング」は7月16、17、18日の3日間。連休を利用した3日間集中のこの講座で、今年も多くの方に「アサーション(正直で率直な自己表現)」の学びをシェアし、共に学び合いたいと思っています。関心をお持ちの方はぜひご参加ください。

第2回 アサーション・トレーニング


2016年2月29日|

グループプロセス・ファシリテーター・トレーニングのその夜 

 それは不思議な感覚です。
 今、「グループプロセス・ファシリテーター・トレーニング」が行われています。2月27日、28日と行われ、3月5日、6日と後半につながっていきます。
 6回のセッションがあり、同じグループメンバーが一人ずつ交替しながらグループをファシリテートしていく体験が続きます。ファシリテートが終わると、グループメンバーはフィードバック用紙に記入し、ファシリテーター役の人にフィードバックをしていきます。
 担当スタッフは、ボスと私です。全体のプログラムの構成、各セッションの中身、小講義の検討などを事前に済ませ、当日は全体の進行、小講義、そして各セッションでのフィードバック・タイムに臨みます。
 臨みます、といってもグループメンバーではないので、基本的にフィードバックに入ることはありません。ありませんが、しゃべりたくなるのか、おせっかいなのか、自己陶酔かもしれない私は、ついぞ口出しをしてしまう始末。本当に始末が悪い。

 

 その体験は、その夜です。
 マルチン・ブーバーが語っていることは、よく理解できていません。ただ、横着にもそのことばだけを使わせてもらうと、「我=汝」の感覚といったらいいのでしょうか。
 いったい「わたし」と「あなた」を分けているもの、隔てているものは、なんなのでしょうか。「わたし」は「あなた」に声を発する。でも、その声は「わたし」に発した声でもある。「わたし」はいかにも「あなた」に届くように行為をするが、その行為は「わたし」に届くための行為となる。空間的な乖離、あるいは肉体としての存在の違いはあるとしても、そこには「わたし」が「あなた」という「わたし」に発しているものがある。別人格であり、性格も、考え方も、感覚も違うとしても、それらが統合された主体としての「わたし」は、「あなた」であり、「わたし」である。

 

 そう思うと、「わたし」の言動、そして思考も、感情もすべては、「わたし」に発せられ、「わたし」に帰する。「わたし」は、「あなた」という「わたし」のために生き、存在する。
 なにとはなしに思うのは、そこには「個」を超越した、「個」の集まりが「全」ではなく、「全」そのものが「個」となる、その感覚・・・。「あなた」を傷つけることは、「わたし」を傷つける。「あなた」を悲しませることは、「わたし」を悲しませる。「あなた」がよろこぶことは、「わたし」をよろこばせる。


2016年2月22日|

先に謝ります

ブログの担当日が18日なのだが、今月はついうっかり忘れていた。
次の人が書いたばかりなら1か月スキップしちゃおうかと考えて、HPを確認したらその目論見は崩れ去った。
2月7日の岸田さんから書き込みが無い。
自分も忘れていた身ゆえに偉そうなことは言えないが、みんな書かない(書けない)んだなぁと改めて思った。
毎日何かしらの出来事があり、何かしらのことを感じたり考えたりしている。
気軽に書いたらいいんだと思いながらも、書くのが苦手な身としては筆が重い。
皆さんにお伝えするのだと特に思うと、何か意味があることや伝える価値のあることと考えてしまう。
「じゃあ今書いてるのは何なんだ!」と言われそうだが…
私は決めたことは特別な理由のない限り、「やらなきゃ」と思うところがありブログ書きもそれに支えられている。
来月はバッチリ18日に書くことを目指したいと思うが、たぶん4~5日遅れる。
それは何故かの種明かしは来月のブログでさせていただきます。
先に謝っておきます。
「ごめんなさい」


2016年2月7日|

ラーニングバー

 一昨日の夜はラーニングバーでした。今年になってからJIELメンバーで、英文資料を翻訳して読み合わせる時間をもっています。体験学習に関する英文資料を1本読むたびに、ワイン1本が空いていきます。昨日は社会的相互作用の循環過程についてでしたが、私はほぼ読み終えるところからの参加でした。
 翻訳するときはシクハックしながら英文と向き合い、なんとなく何が書かれているのか理解できずにいるのですが、わいわい言いながら英文で書かれた意味をひもときながら、実際にどんな状況を表しているのか、体験と照らし合わせて結びつくイメージがわいてきたり、今まで理解していた理論についての新たな発見があったりするのは楽しく刺激的です。
 最近、学び方を学ぶということが頭をよぎります。英語を理解できるようになりたいと思っているのですが、今からどうやって英語の力を身に着けられるだろうかと途方に暮れる思いもあります。単語、文法などの知識やリスニングなどの聞く力…自分に足りないものが多くて、どこから手をつけたらよいのかわからないというか、道のりの遠さにへこたれそうになります。それでも少しでも英語に触れる時間をもとうと、英語のニュースを聞き流しています。しかし最近、ただ単にいくつものニュースを聞き流すだけではほとんど役に立っていないことを改めて実感し、一つのニュースを繰り返し聞きこむことにしました。先週はアメリカ大統領選挙の候補者選びが大きな話題となっており、日本でもニュースになっていたので、その点でも興味がわいてきました。英語の学び方を試行錯誤しながら少しずつやり方を変えたり、そこから何か少しでも学んだ実感を得ることができると、学び方のコツのようなものが見えてくる気がします。
 英語を話せる知り合いに勉強法を聞いてみると、「話す機会をどんどんつくることですよ!」と力強い言葉が返ってきました。「そうですよね」と言いながら、今の私にとっては少しハードルが高い感じです。ひとまずは自分なりの学び方を工夫してみるのも楽しい体験なので、あきらめずにコツコツ継続していきたいなと思っています。飲めて学べるラーニングバーは、そんな今の私にとってとてもうれしい時間です。
 


2016年2月2日|

セレンビリティ

 アクシデントは、“事故”と訳したりします。他に“偶然の出来事”、“思いがけない出来事”などという訳も辞書に載っています。「それは事故だったね」といったりしますから、偶然といってもそれはどちらかといえばネガティブな偶然といっていいのでしょう。
 馬には失礼だと思うのですが、こうやって馬齢を重ねてきますとそんな偶然は数えきれないくらいあります。おそらく馬齢を重ねていない人であっても、偶然を積み重ねて人は人生をつくっていくのかもしれません。
 偶然は、自分が意図したり、予期したり、想像・想定した範囲を超えて起こるものだとしたら、それがいつ、どこで、だれと、どのように起こるのか、人智を超えるところの出来事となります。そして、なぜ、それが今起こったのか。

 

 フレミングがペニシリンをカビから抽出することに成功したのは、実験のために使う細菌を培養していたとき、細菌が繁殖している培養器のなかに青カビを発生させてしまい、使いものにならなくしてしまったことが始まりだそうです。

 

 セレンビリティ。

 

 ウィキペディアによると、「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ること」とあります。フレミングのペニシリンの話は、セレンビリティとはどんなことかの例によくあげられるものです。
 偶然ということであれば、いつもフレミングに偶然が訪れるというわけではありません。誰にだって、自分にだって偶然は訪れる。偶然の出来事がネガティブな偶然(アクシデント)となるのか、ポジティブな偶然(バイ・チャンス(by chance))とするのか。
 人智を超えるところで引き寄せられるものと(引き合わせられるものと)、人智とが織りなす人が生きていく深みとか豊かさとかが、人生のストーリーをよりおもしろくしているように思います。

 

 偶然は準備のできていない人を助けない(ルイ・パスツール)


2016年1月18日|

冬本番

JIELのブログは月に1度なので、今回が年明け初めての私のブログです。
あらためまして、今年もどうぞよろしくお願いします。

今日は東京方面は雪で大変だったと報道されています。。
我が息子も東京にいるので、今朝メールをして様子を聞いたら「そこそこ大変だ」と返事がきました。
交通機関の乱れがあって、仲間とタクシーを使っての出勤になったようです。

今季は暖かったので、この寒波が日常の生活を脅かしているようです。
天気予報で「本格的な冬並みの寒さ」と表現していましたが、
何となく変な表現だなぁと思いつつ、今年はこんな表現も違和感がないなぁとも思いました。

雪を待ちわびている方たちもいます。
どこのスキー場も雪不足に悩んでいるようです。
JIELのTグループで昨年12月中旬に清里を訪れましたが、その時の清里も積雪はありませんでした。
行っている間に少し雪は降りましたが、1日ちょっとで消えてしまうような状態でした。
雪で生活を成り立たせている人もいるので、あまりの暖冬も困りものですね。
冬野菜も甘くならないで育ちすぎてしまっているようです。
これは私にとっても美味しくない話しです。

何でも立場や味方によって、随分違うものです。
明後日辺りには名古屋も雪が降るかもしれないとのことなので、
雪景色を楽しめる余裕をもって行動したいと思っています。


2016年1月16日|

今年もいい年に!

新しい年を迎えました。毎年この1年はどうなるのか?どう過ごすのか?あれこれ思い悩みます。悩みながらいろいろな目標を立てるのですが、目標を立てたことも忘れて1年が終わっていきます。それでもその行為はやめられません。先日、ショッピングセンターで占いコーナーがありました。いつもあったのかもしれませんが、一年の初めだからなのかどうしても気になるので、占ってもらうことにしました。何占いからよくわからないのですが、生年月日、生まれた時間を聞かれ、それを計算して、「あなたは水の人ですね」と言われました。いずれにしても強運らしく、特にアドバイスもないとのこと。また、「水だから冷えやすい、温めてくれる人とかものが必要。」とも言われました。考えてみれば、私が仕事でもプライベートでも幸せに生きていられるのは、周りの人たちが温めてくれているおかげだなとの思いを強くしました。感謝しなければ!今年も充実した一年が過ごせそうな気がしました。
ちなみに私の母も同様に占ってもらいました。母は「鉄(はがね)の人」とのこと。どうりで強いわけだ…


2016年1月5日|

書き初め

昨日・今日あたりから仕事始めでしょうか。
今年の年明けは穏やかで暖かな日が続いていますね。
以前からHCCで行われている「書コラ」に参加してみたいと思っていましたが
ついに年初めに書き初めをすることができました。 

 

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何を書こうかと思った時に浮かんできた言葉を書きました。
「共鳴」という言葉がありますが、三省堂大辞林によると
「他者の行動や思想などに深く同感すること」とあります。
「饗鳴」と書きたくなったのは、
「他者の行動や考え方に触れて響いてくるものを大切にしたい。
そして、反応して何かを一緒に奏でるように鳴る」
そんなイメージがわいてきたからです。
昔Tグループに参加した時「リンリン」という愛称で呼ばれました。
起っていることに反応してしゃべる様子がリンリン鳴るようだと。
今の私は、共鳴するだけではなく、何かを一緒に奏でたいなあという気持ちです。 

 

JIELからの年賀状を受け取ってくださった方は、
研究員が今年大切にしたい言葉が載っています。
3日のFacebookでは素敵な手書きの書の写真もアップされています。 

 

他の人が書き初めを教えていただいている様子を見ながら、
その人のよさをいかすということが浮かんできました。
自分が何かを教えるときにこんな風にできるかなと。
正しいことを教えるというスタンスでつい教えてしまいそうな自分が浮かびました。
アドバイスをききながら、どんどん伸びやかであじわいのある書、
力強さがでていきいきする書が生まれてくる。
その人の持ち味をいかすということなんだなーと新年からじんわりしました。 

 

今年もどうぞよろしくお願いします。


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