まほろば、そしてジョハリのミステリー

 植木屋さんがいうには、これは剪定の仕方がよくない、3年は花が咲かないだろう、というのでがっかりしていました。2年目になり、葉は囲いを飛び越すように生えました。ふと顔をあげればそこには一輪の花。誤った育て方をしたにもかかわらず、生命は自ら生長をし続け、開花しました。

 

 「やまとはくにのまほろば」の大和の国。その国におうかがいできるのは、私の大きな楽しみのひとつです。今年は早めの電車に乗り、ホテルに到着してすぐに着替え、畝傍山一周のランニングに出ました。畝傍山は耳成山、香具山とあわせて大和三山のひとつです。「こんにちは」、「ゆっくり行きや~」(語尾ははっきり覚えていないけれど)とか、走っていると大和の人はあちらからこちらに声をかけてくれます。まさにまほろばです。

 

 ここのところ、私たちJIELの有志メンバーが集まり、NTL Institute(National Training Laboratory Institute)の古い英文を翻訳しながら、とくにTグループを中心とした学びの場をつくっています。最近、そのなかで取り上げられたのは“ジョハリの窓”です。ジョハリの窓は、今は多くの人がご存じではないか、と思います。
 ジョハリの窓は、1950年代にジョゼフさんとハリーさんが考えだしたものです。”ジョハリ”という名前は、ジョゼフさんの“ジョ”、ハリーさんの”ハリ”をくっつけたものであることは想像できることです。おもしろいことに原文には脚注にこんな記述があります。

 

In Sanskrit it means,”The god who sees within.” In Swahili it means, “The essence of things.”

 

 「サンスクリット語では、「内を見る神」の意。スワヒリ語では「ものごとの本質」の意」といったらいいでしょうか。

 

 その後、フレデリック・ミラーという人が、おそらく1980年代と思いますが、ジョハリの窓を再考し、”Opening the Johari Window”としてまとめています。フレデリックさんの記述するジョハリの窓はなかなかユニークで、いわゆる田の字の窓ではありません。彼の表現するところでは、未知の領域は”Mystery”です。開放の領域を広げる自己開示には”Exposure”の単語を使っています。
 その論の最後に彼は、「私に協力し、シェアし、露呈してください。そうすれば私は成長できる。そう、私はなりうるベストの私になることができる。あなたは私の真実の一部を握っている。あなたがあなたの中にある私というものを私とシェアしてくれたら、私はよりよい自分自身になりうる。おまけは、あなたが私とシェアすれば、あなたもまた成長する。私たちはともに私たちがなりうるベストの私になることがよりよくできるのだ」と締めています。

 

 あなたが2年越しに花一輪を開いてくれたこと、大和のあなたたちがやさしく声をかけてくれたこと。まほろばでの出会いは、私の内なるミステリーを開墾していきます。
 来年度、もし機会が与えられるなら、今度は香具山、そして甘樫丘を目指して走ります。そこにはどんなミステリーがあるか・・・。