スタッフブログ

2016年9月27日|

秋期開講「実践 人間関係づくりファシリテーション」12講

 
今週末から「実践 人間関係づくりファシリテーション」秋の講座がスタートします。
 
人間関係づくりの基礎となる10のテーマとファシリテーターに必要な2テーマを、12章にまとめた本「実践 人間関係づくりファシリテーション」(金子書房)を刊行してから早3年。これは各章がそのままワークショップとして展開できる内容になっています。
 
今週末から始まる公開講座「実践 人間関係づくりファシリテーション」は、上記の本の1章ずつを1講座として開催します。
http://jiel.jp/programlist/jissen/
 
体験を通して「人間関係づくりのファシリテーション」をともに学びあう講座なので、理論や理屈だけでなく、実際にその場を体験して実践的に学びたい方にお勧めです。
 
今週末は次の2講座です。
2016 年 10 月 1 日(土)10:00 ~ 13:00
第2章「場をつくる」 水野 節子・津村 俊充
2016 年 10 月 1 日(土)14:00 ~ 17:00
第3章「ひらく」 津村 俊充・水野 節子 
※参加費は各講3,240円(税込)。
 
ファシリテーターを務めたり、職場のメンバーやボランティアの方々をリードしたりする機会のある方々にとっては、きっと役立つ体験になるでしょう。
 
詳細・お申込みはこちらから
http://jiel.jp/programlist/jissen/
 
章ごとに完結した講座ですので、日程順でなくとも、ご都合のよい講座からお申込み・ご参加いただければ幸いです。
まずは今週末の講座で、お会いできる方がいらっしゃるとうれしいです!


2016年9月26日|

Tグループ フォローアップ研修

9月11日は、第3回Tグループのフォローアップ研修でした。
 
Tグループが終了してから、日常に戻った時に一人ひとり本当に様々に過ごされていたのだと思いました。
私は、事務局として携わりましたが、午後からのグループワークではBグループの方と一緒に参加させていただきました。
 
グループワークを通じて、Tグループに参加された方々の言葉を聴いて無性に詩にしたくなりました。いつもだったら詩を書くことなんていないのですが、その時は無性に書きたくなったのです。その詩を皆さんにも紹介したいと思います。
 
 
私たちは、時にもがき
     時に立ちどまり
     時に苦しみながら
 
そして、得たものは、今までにみていた風景とは違う。
 
より深く、豊かな人生であった。
 
私たちは、自分をいつくしみ
 
     相手をいとおしみ
 
     お互いを認め合いながら
 
そして、違いの中に影を感じながらも
 
    違いの中に光をみいだし
 
共に生きる道を探していった
 
遠いかもしれない、しかし、その歩みを止めなければ、
 
その道には、必ず、喜びと幸せが待っている。


2016年9月21日|

富士山は見えないけれど

ただ今、台風16号が東海地方を襲っています。
皆様に被害がないことを祈っています。

そう言いながら私は自宅を離れ、富士山の裾野にある帝人アカデミー富士というところで、JIELのTグループ・ファシリテーター・トレーニングをやっています。参加者15名・スタッフ4名で、今は最後の夜を迎えています。
先週の土曜日からの4泊5日(スタッフは1日前から)、学ぶ意欲の高い熱心な参加者の方々に支えられて、充実した学びの時間を過ごしてきました。2つのグループに分かれて、TTS(トレーナートレーニング人ぐセッション)と呼ばれるファシリテーター体験を交互にしていくものが中心の研修ですが、体力的のも精神的にもなかなかハードな体験になります。しかし、その中で自分のファシリテーターとしての学びや気づきを、自らの働きによって多く得られるのも事実だと思います。

そんな固いことばかりでもなく、参加者となるにはTグループへの参加経験が条件なので、同じTグループに出た方も多く、ちょっとした同窓会気分を味わえるのも楽しみの一つです。久しぶりに会った仲間と、4泊5日また充実した時間が過ごせることは、他の機会にはまずないことでもありますから貴重な時間になります。

もう一つ、今回の開催場所は富士山の本当に麓になるので、毎日壮大な富士を見て過ごせるのも楽しみの一つと思っていました。
(なんと1日では書ききれず、研修最終日を迎えてしまいました。現在、皆さんは「気づき・学びのモデルづくり」に取り組んでいます。)
ところが、今回は研修1日前の名古屋からの移動でチラッと見ただけで、5日間全く富士山を見ていません。典型的日本人の私は、こんなに富士山の近くにいて見れないのが本当に残念です。私たちがよく利用している清里・清泉寮から見る富士山は山梨側の富士山。ここから見られる富士山は静岡側の富士山。どちらが良いとは言いませんが、どんな富士山でもその場にいるからこそ見られる富士山を見たいのです。

今回は富士山には出会えませんでしたが、参参加者やスタッフの‟今ここ”の魅力的な姿に出会うことができました。これだけで十分幸せを味わえています。
参加者の皆さん、スタッフの方々、充実した時間をありがとうございました。


2016年9月17日|

置き去りのスーツケース

ある日、名古屋駅で降りて職場に向かっていた時、道の真ん中に置きっぱなしになっているピンクの大きなスーツケースを見つけた。持ち主らしき人は近くにおらず、スーツケースだけがあります。空港を通ったらしいタグやシールがついていたので、きっと海外からの旅行者か海外旅行に行ってきた人のものなのだろう。しかし、人通りの多い道の真ん中にどんと存在しているのは、とても異様な気がした。人々はそれを何もないかのように通り過ぎていく。誰のものかわからないものを勝手に動かすわけにはいかないので、私も心の中はドキドキザワザワしながらそのスーツケースのそばを足早に通り過ぎた。
ドキドキしていたのは、爆発したらどうしよう、なんか怖いな、ということだった。このスーツケースは実は爆弾で、なんらかのテロ組織が意図的に置いたものかもしれない、わざわざ道の真ん中にあるのは、ちょっとでも動かすと爆発する仕組みになっているのかもしれない…今から考えるとバカバカしいほどのことだが、その時はそんな考えが頭をよぎった。(私の想像はまったくの取り越し苦労だった)
こんなことは、人間関係にもあるのかなと後から思った。その人と初めて会ったとき、どこから来たのか、どんな経験をしてきたか、どんな考え方や捉え方をするのか、など、まったくわからないとき、その人が何も話さずただそこに存在しているということは、とても大きな影響があるのだけど、たいていは自分から触れることに躊躇して、平気なふりを装っている。そのうち、自分の中でその人の少ない情報を大きく膨らませて、「きっとこんな人なんだろう」と(たいていネガティブな方向に)解釈してしまう。その人とのかかわりが生まれたら、自分が想像したこととは大きく違っていたり、取り越し苦労だったと思うのかもしれないのに。
自分がただそこにいるだけでも、人にとっては多少なりとも影響がある。そのことを意識して、自分から自分を発信していけたらいい。そんなことを置き去りにされたスーツケースから考えた。


2016年9月7日|

秋のはじまり

 先日倉敷の美観地区をふらりと歩きまわりました。古民家や蔵のある街並みを楽しみながら、興味ひかれるお店に立ち寄ると、つい財布のひもも緩みがちに。 
 ある民芸小物を扱ったお店で、額に入った作品に目が留まりました。どの作品も温かみとユーモラスな絵が印象的な型染絵の作品です。作家は「柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)」という方でした。お店ではこの地区と縁のある作家であることくらいしかわからなかったのですが、帰路スマホで検索すると、柚木沙弥郎の公式サイトによれば、1922年に画家の家に生まれ、美術史を学ぶため1942年に東京大学に入学。勉学は戦争で中断され、46年から大原美術館に勤務したとあります。また経歴の中には、和紙に大胆に民芸模様を型染めした暦に出会い、民芸運動のリーダーである柳宗悦の作品を読み始めたり、芹沢銈介のもとに弟子入りしたことが記されていました。そして今でも不定期に展覧会をされているようです。
 芹沢銈介と縁があったことを知って、一層身近に感じられてうれしくなりました。好きな作家とのつながりを知って、懐かしいような、妙に魅かれる気持ちに納得したり。
 私が買ったのは落ち着いた秋らしい色合いをした2羽の鳥の作品です。自宅に帰って早速壁に飾って楽しんでいます。倉敷の街歩きでは、藍の地に、色合いもきれいな曜変天目茶碗が角度を変えて表現された手ぬぐいも買ってしまい、こちらもあわせて飾っています。
 暑かった夏がようやく秋へと移り行くなか、家の中にお気に入りの作品があるとちょっと豊かな気分になります。過ごしやすくなるためか、少し新鮮な気持ちもわいてきて、何か勉強を始めたくなったり、出かけたくなったりします。ふらりとでかけていろんな出会いを楽しんでみませんか?JIELの講座にもぜひお越しください!

 


2016年9月1日|

無人駅-この夏のひとときの

 場所は三河ののどかな田園地帯。
 一仕事終えました。そこからが少し大変。駅まで歩く時間は20分。この真夏の炎天下、首にタオルを巻き直します。
 太陽はまだ高いし、まわりの建物も背が低いこともあって、歩きはじめは道に陰もありません。しきりに汗をぬぐいます。歩く前にスポーツドリンクを買っておいてよかった。
 しばらく歩き、折れて道を下っていきます。小さな川が流れています。いってもちょっとした谷です。小橋を渡ると目の前は林の中の急な登りが待ち受けます、そのふもとで一息。坂は木々が生い茂り、かげろうが飛び交い、気分は安らぐのですが、汗は吹く。
 坂を登りきり、お地蔵さんにご挨拶をすれば、駅までは平坦な道です。路線橋をまたぎ、小さな無人駅の駅名をみるころには服に汗が染みています。
 1時間に1本の電車が往来する無人駅。まだ電車が来るまでには時間があって、駅にいるのは私ひとり。やれやれ、とベンチに目を向けると、小石に置かれたメモがある。
 「ご自由にお持ち下さい」、横に茄子が5本。
 メモの左下に小さな赤い字で「ありがとうございます!!」と書いてある。だれかが1本(2本?)、もっていったのでしょう。
 蝉が鳴き続ける静寂、スポーツドリンクを一気に飲みます。
 「ありがとうございます!」と同じく赤い字で書き添え、かばんに入れるなすび1本の音。
 ワンマンカーがやってきた。外から「開ける」のボタンを押してドアを開けます。椅子に腰かければ、エアコンの冷気が桃源郷からの帰路であることを気づかせます。
 私は電車の人となり、一時の夏の小旅行を脳裏に刻みます。


2016年8月23日|

突然やってきた介護

私は、夫の義母と同居して、今年で29年目になります。わたしは、仕事が好きで、仕事を続けるために夫の両親との同居を決意しました。実家の母からはどうして同居をするのかとさんざん反対されたことが思い出されます。
 
この29年間の間は、平坦だったわけではありませんが、同居して10年を過ぎた頃から義母が一生懸命に家族を守ってきた姿を見てきて同じ女性として尊敬するようになりました。それは、義母が経験してきた話しを聴き、わたしなら耐えられないと感じることが多かったからです。わたしならさっさと離婚していただろうと思われる状況にもかかわらず家族を守ってきた姿だったのです。
 
わたしは、それまでの嫁姑の確執が徐々に薄れていきました。また、私は、看護師という仕事柄夜勤や研修などで家庭を留守にすることが多くありましたが、義母はそんな私のことを理解してくれて家事全般を引き受けてくれていました。だから、仕事から帰ってくると晩御飯ができている状態で、仕事仲間からは「うらやましいわね」とよく言われたものです。
 
そんな義母が、つい最近私が研修から帰宅すると足を引きずるようになっていました。今まで腰の手術を2回していたこともあり、また、腰が悪化したのかと思いましたが、取りあえず、検査の結果は膝の問題だとわかりホッとしました。しかし、足が不自由なことは今も続いています。このような状態になり改めて義母が家事全般をしてくれていたおかげで、我が家は順調に回っていたことがわかりました。私が、大学院に行けたことも長期の研修に安心していけることも義母の支えは本当に有難かったのです。
 
これからは、少し義母に寄り添っていたいと思っています。でも、私の周りでも介護をしている方が多くいます。そして介護をしながらもこのような研修を続けている方がいます。わたしも自分なりペースで、介護とJIELの活動を考えていきたいと思います。


2016年8月19日|

若い力

只今、リオオリンピックが開催されています。
今日の早朝には吉田選手の四連覇ならずが大きく報道されています。
それでも銀メダル。その上、そこまでの試合は相手にポイントを与えていません。
凄い人だと思いますし、誰もが言うことですが本人の努力はいかばかりかと思います。
そしてもうひとつ彼女が讃えられているのは、次に続く人への影響です。
今回女子レスリングで金メダルをとった若い選手は、吉田選手に憧れ、共に練習をして育ってきたそうです。
自分の結果だけに留まらない、彼女の功績は本当に大きく、その点においても頭が下がります。
多分それはレスリングの世界だけに止まることではないと思います。

 

8月の始めに小牧教育委員会の研修のお手伝いをさせていただきました。
参加者は若い方が多く、中堅層が少なくベテラン(勝手に決めていますが)の方が何人かという状況でした。
何となく世代交代を感じさせる様子でした。
実際、小牧は10年以上も前から体験学習を取り入れてくださっているのですが、その頃の多くの体験は知らない先生が増えていると聞いています。
今回の研修ではコンセンサス実習をし、丁寧なふりかえりをしていただきました。
その様子を見ていると、誰もが熱心に学ぼうとする姿勢が伝わってきました。
それぞれの人が自分の状況の中で、与えられるもの貰えるものを十分に出しあって学びあっていると感じました。
身近に目標としたい人がいることが、次を担う人たちの大きな力になるのだと思いました。

 

私は数日後の誕生日で57歳になります。
長寿国の日本にあっては、まだまだひよっこだとも思いますが、実際には定年間近になります。
その私にとって、ラボラトリーの体験学習を支えていってくれる若手が育ってくれることは、大きな関心事なのです。
私は本当にラッキーだったので、二十代半ばからラボラトリーの現場でファシリテーターを体験させてもらいました。そこで多くの尊敬する先輩の有り様に直に触れて学ばせてもらいました。この体験は私の財産になっています。
そのままを継承していけばいいということではないと思いますが、繋いでいきたい思いがあることも事実です。
私が吉田選手のようにはなれませんが、少しでも「あんなところが魅力的」と思ってもらえるような存在になれるように精進していきたいと思っています。
それが私にできる若手育成の一つだと思います。
そして共に学び合う中で、若者大好きな私も若者から刺激をたくさん貰っていきたいと思います。

 

たくさんの感動と気づきを与えてくれたオリンピックも終盤ですが、あと少し眠い目をこすって「がんばれ日本」と応援したいと思います。


2016年8月9日|

何が見える?

先日、四つ葉のクローバーを5人で探しました。
四つ葉のクローバーを見つけることができたのは一人でした。
クローバーが生えている場所はそんなに広くなかったので、
同じ場所を探していて、
四つ葉のクローバーを見つけられる人と見つけられない人がいることに
何か意味深いものを感じました。
 
同じ場所を見て探していたけれど、見つけられなかったのはなぜだろう?
四つ葉のクローバーなんてそうあるはずがないと思い込んで探していたから?
かなり一生懸命探したつもりだったのに…。
 
四つ葉のクローバーを見つけた人は、
見つけるのが得意でこれまでに何度も見つけているそうです。
他のクローバーとは全体の形が違っていて、何となく見えてくるそうです。
見つけるコツを知っているのかもしれません。
 
仕事でお客さんと対応していても人によって成果が異なります。
同じ情報を聞いても
結果につなげられる人がいたり、つながらない人がいたり…。
 
体験学習ではどうでしょうか?
みんなが体験している事実があり、
それぞれがその事実をどのように見て、何を感じるかはさまざま。
体験学習を学ぶようになってから
他の人も自分と同じように感じているだろう、
考えているだろうというのは思い込みであることに気づきました。
 
同じことを見たり体験したりしていても、
それぞれが着目したり、響いたり、理解したり、意味づけたりしていることは
一人ひとり異なるんだなーということが
体験学習を学び続ける中で少しずつわかってきました。
だからこそ、相手は何を感じているだろう?
相手がこんな行動をとる背景には何があるのだろう?
そんなことをもっともっと知りたい、聞きたいと思うようになりました。
 
同じものをみても、そこにチャンスがあるとみる人と
違うことを思う人もいる。
日常生活の何気ない場面からも感じることがあり、
それがまた面白くも感じています。


2016年8月2日|

雑記-蒸し暑い日をさらに蒸し熱く-

 今年のハンゲショウは、あまり白粉を塗ることもなく盛夏に入ってしまいました。半夏生を迎えた頃からほぼ毎日トマトを食べています。4月に植えたミニトマトがそれはもうたわわに実り、赤く熟した実を食べるのが早いか、虫に食べられるのが早いか、熟しすぎて実が落ちてしまうのが早いかの競争です。

 

 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

 

 1897年から1898年にかけてゴーギャンは滞在したタヒチでこの絵を描きました。ゴーギャンの深遠な思いほどではないのですが、90年代頃から私の脳の奥底に住みついているのは、幸せとはなにか、人はどうしたら幸せになるのか。
 自分の真摯さが足らないのはいいわけですが、当時はこの分野でとくに心理学的な知見に接するを機会は少なかったように思います(今から見ると実際には多くあったのですが)。幸せが表舞台に出てきて大きく脚光を浴び始めたのは21世紀に入ってからといってもいいのではないでしょうか。1998年にM.セリグマン博士たちが創始した「ポジティブ心理学」は、それまでは主に人の病理的な面に焦点を当てていた心理学からポジティブな側面に目を向けることを唱えました。2004年のTedでセリグマン博士は3つの幸せについて語っています(https://www.ted.com/talks/martin_seligman_on_the_state_of_psychology?language=ja)。
セリグマン博士たちは、日本ポジティブ心理学会によれば2011年頃から軌道修正をし、ウェルビーイング理論へと展開してきました。ウェルビーイングとは、Well-being、よく在ることを表します。セリグマン博士の最新刊、「ポジティブ心理学の挑戦-“幸福”から“持続的幸福”へ-(Flourish, A Visonary New Understanding of Happiness and Well-being)」(2014)では、その軌道修正が述べられています。

 

 最近、本屋さんではアドラーの本が平積みになっています。私も時流に乗って(?)アドラーに関心を寄せている一人です。彼における「幸せ」とは、誰かの役に立っているという主観的な感覚、貢献感と述べ、幸せを実感するためには、仕事、交友、愛の3つからなる「人生のタスク」に向かうことである、とします。競争原理ではなく、協力原理のなかにあって、共同体感覚のもとにこの3つのタスクにどう向き合っていくか。

 

 ポジティブ心理学とアドラーのいう幸福の異同をここで述べるほどの知見をもちあわせていないのはに申し訳ないことですが、ポジティブ心理学では頻繁に取り上げられているポジティブ感情というものはアドラーのなかではあまり取り上げられていないような気がします。セリグマン博士は1991年に「オプティミストはなぜ成功するか(Learned Optimism)」を世に出し、慶應義塾大学の前野隆司教授も幸せを因子分析した4因子のなかに楽観性を因子のひとつとしています。Learned Optimismという原題からいえば、オプティミズムは学習性をもっている。そうであるとすれば、オプティミズムをどのように学習していくか。そのプロセスのなかでアドラーのタスクを採り入れるとするならば、どう人生の課題に向き合っていくか、取り組んでいくか。

 

 どうもこんなことをつらつら書き留めていると、アドラーがいっているように自分はメサイア・コンプレックスなのではないか、と思えてきます。ハンゲショウが白さを表さなくても、ミニトマトが虫かなにかについばまれても、すべて自然の摂理のままに世は動いていくのに。


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