キャベツ

 2月の終わりだったか3月の初めのころにホームセンターに行ってキャベツの苗を見つけました。「持っていって」と苗がいうので、別々の種類のキャベツを3つ持ち帰り、家の庭の小さな花壇に植えました。
 植え初めのころは伸びるかな、枯れないかな、と思いながら目をやり、水をやる毎日でした。3つ並べて植えたひとつが枯れてしまいました。他のふたつを枯らしてなるものか、とこまめに水をやってはいました。しかし、育たない。
 育たないとみると、水やりの間隔もあき、気にかけなくなりました。

 

 4月も中旬に入ったころだったか、目をやるとひとつのほうは小さく丸みを帯びた玉ができている。もうひとつのほうはというと、まったく玉をつくる気配もなく、ただ茎がどんどん伸び始めた。目に見えて生長を知ることがわからなかったのは、たぶん気温が低かったせいで、植物もまだその時期を待っていたのだろう、と思いました。それにしてもひとつの苗のほうはキャベツなのか、別の野菜なのか。
 自分の期待に添うように見えるとまたかわいがりたくなってくる。毎日毎日少しの生長を探すようになる。立てば這え、這えば歩め、と同じ気持ちなのか、毎日の生長が待ち遠しい。そうなると今度はいつ頃が収穫時かが悩ましくなる。その悩ましさが楽しみにもなる。

 

 結局5月半ばに紫キャベツを収穫することにしました。でも、根元を切ろうとするとためらいが湧いてきます。いとおしい気持ちが起こってきて、鋏をいれられません。もうひとつのほうはどうもキャベツではなかったみたいで、きれいな小さい黄色の花をたくさん咲かせてくれましたが、ためらいなくカットしました。

 

 その夜の紫キャベツはサラダにして食べました。少しかたかったですが、おいしくいただきました。
 自分の都合や、自分の思い描く期待に添うものには目をかける、そこに至らないと待てない自分がいる。生長には人がしてやれること、環境や条件、そしてそのもののもつ力と時期を信じて待つことが大事ということを思い知らされました。

 

 今はミニ・トマトが植えられています。大きく育てよ、ミニだけど。