「くそばばぁ」
夜中に親子が喧嘩している声。親子といっても、母娘。雨も降っていることもあり、いっていることはわかりませんが、娘が一方的に罵しっているのはその語気からわかります。
「このくそばばぁ。」
このことばははっきり聞こえました。娘の年齢は50歳後半。80歳を超えた母親はどんな気もちでそのことばを聞いているのかと思うと、なんだか悲しい気もちになりました。
水曜日午後11時からNHK教育テレビでNHKとしては異色で斬新(?)な番組をやっているのを見つけました。「ねほりん ぱほりん」というタイトルで、「根掘り葉掘り」からきているのだろうとは容易にわかります。番組はすべて豚の人形が登場します。「ねほりん」役の声は南海キャンディーズの山里亮太さん、「ぱほりん」役はタレントのYOUさんが勤め、毎回違ったテーマでゲストの豚さんが登場します。お昼のワイドショーだったら、おそらくすりガラスの向こうにいて話を聞き出す、という構成が、ここでは人形豚さんがすりガラスの代わりをします。ホームページを見ると、これまで「占い師」だったり「株で億単位の稼ぎをする20代の人」だったり、確かに顔を出して本音を語るには憚れるような人たちが豚さんとなって話をするので、その生々しさが魅力なのかもしれません。
私が観たのは「里子」の時でした。幼くして養子に出され、養父母に育てられ、今は高校生。物心がわかるようになってから養父母に実子ではないことを告げられ、彼は悩みます。それを学校の先生に話したら、先生がクラスでそのことをみんなに話したことから、彼はいじめにあったりもする。そんな本音をねほりんとぱほりんが聞いたり、つっこんだりします。ぱほりんが聞きます。
「ねぇ、お母さんに『くそばばぁ』とかいう?」
「いいますよ」
「それってお母さん、うれしいだろうねぇ」
観ていてきっとお母さん、うれしいだろうなぁ、と私もよかったなぁと思いました。
社会構成主義という考え方があります。Wikipediaによれば、「社会構築主義(社会的構築主義、社会構成主義)とは、現実 (reality)、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする、社会学の立場」とあります。「わたし」には「わたし」のもつ認識の枠組みや知識があり、「わたし」はそれらでもって世界を理解し、自分なりの意味をつくる。この現実は「わたし」がつくっている。
前者の娘が発する「くそばばぁ」に対して悲しいと感じる、後者の高校生が発した「くそばばぁ」に対してよかったなぁと思う。それは私がつくっている現実です。その現実をとおして私は人や物事を見たり、評価している。まずそのことに気づいていることが大事なのだろうと思います。そして、なにを、どう語るか。ことばにすることが自分の現実をつくり、ときにはそれでしばられてしまったり、ときには自分のありように気づかされたりもする。
自然で、自由で、もっと解き放たれていたら、と思う自分がいる、それもまた自分の現実なんだろうな・・・。