歳を重ねる

 歳を重ねると覚えている力が衰えます。
「昨日の晩御飯、なんだったっけ?」くらいから、「薬、飲んだかな?」「歯、磨いたっけ?」とか、覚えていないこと、忘れることが多くなる。先日は一晩、玄関のカギをつけっ放しにしたままでした。
 忘れることが多くなることは、歳をとった証のようなものだけれど、歳をとったからこそ忘れることもある。長く生きれば生きるほど、目や耳やすべての五感から入ってくる情報はどんどん増えるわけだから、そんなものすべてを覚えてられるわけもない。覚えておく必要もない。だから、忘れるのは人が生きていく上での自然な摂理といってもいいのではないかと思います。五郎丸さんは忘れることはないでしょうけれど、ルーティンとなっていることは特に忘れやすい。それが日々の当たり前の行為となっているから、だから電車の運転手さんはいつも指差確認をしている。
 歳を重ねて忘れるということは、余分なことは捨てていくことだと思います。
 残されたいのちの時間を思えば、余分なことを脳に留めておくことがもったいない。だれかが自分のことをどういったとかを気にすることだの、恨み辛み、苦い経験や思っても糸口すら見出せない悩みなど、考えてもそこから生まれてくるものがないならば、いのちの時間をすり減らすほどの澱(おり)は忘れ去るのが一番。ちなみに一説には、「忘」は「自分の意志で自分の心をなくした」ことで「わすれる」とか。
 削ぎ落とされた自分の周りをみれば、そこは「美」の世界。自分の周りは「美」で溢れている。おそらくそれって歳を重ねないと見えてこない世界。歳を重ねるからこそ見えてくる世界。
 そこにずっぽりはまって、ひたすら「美」に包まれる。それが自然に、あるがままに、そこにある。
 そんな「美の世界」すら忘れてしまうようになれば。
 だから、歳を重ねることは楽しい。