みうちゃん

水泳を始めて4年ほどになります。

 

4年も泳いでいれば、変化があります。そこそこ泳げるようになるし、距離も延ばすことができるようになる、時間もそれなりに長く泳げるようになりました。うまく泳ぎたいという思いがあって、今の自分の泳ぎを省みる。なんだか無駄に手をかいているのじゃないかと思う。どうやったら水の抵抗を少なくして効率よく前に進めるかを考える。今度泳ぐときはこうしてみようと思いをふくらます。そして、やってみる。その一連の流れが体験学習の循環過程に当てはまると思い、あるとき研修で使ったことがあります。自分の泳ぎはなかなか自分ではわからないもので、それを他のだれかからいってもらうことで自分なりの考えを深めることもできる、そういうだれかの手助けがとても大切という体験もグループワークの醍醐味としてお話ししました。

 

だいたい同じプールに通うので、プールのスタッフはもちろん、常連さんとも顔なじみになります。そういう人たちが手助けしてくれます。でも、未だにほとんどの人の名前を知りません。プールにつかりながら世間話をしたり、休憩時間に採暖室でおしゃべりをしたり、という間柄。プールの中だけの接触で、プール以外でのことを引きずることはありません。趣味が共通であることが互いをつなげ、そこからの世界でふれあいます。

 

みうちゃんもその一人です。なぜそうなったのか、全くわからないのですが、小学3年生の女の子と仲良くなりました。ひとりでプールに来ていること。宿題を済ませてしまってやることがないから来たこと。中学校はT校(結構有名校!)に行きたいということ。離婚したのでおとうさんといっしょに住んでいないこと。おかあさんは仕事が終わってから妹を保育園に迎えに行くこと。今日の晩御飯はハンバーグということ。・・・。特にこちらから聞いているわけではないのに、みうちゃんは話します。私のことをおかあさんには「変なおじさん」と話しているそうです。そこは否定し、「変なおにいさんって言え」とはいってあります。

 

絶対条件ではないとは思いますが、体験学習で学ぼうとするとき、自分のなかになんらかの変化への期待や希望、あこがれ、求めているものがあると、気づくことに気づきやすくなるように思います。感度がよくなっているというか、気づくべくして今、私はここにいる。降りてくる、といったらいいのか。おそらくみうちゃんとの出会いもそうした変化の一連なのだろうと思います。それを期待しているわけではないのですが、今ここにいる私にとって大切なことなので、みうちゃんが降りてきた。

 

みうちゃんにとって「変なおにいさん」が降りてきたひとりであることを願いつつ、今日も泳ぎます。