圧がない関わりの居心地
12月23日に開催された「圧がない関わりの居心地~もって語りたくなるナラティブ・アプローチ~」の中で、体験した「人の話しを受け取ること」は、とても奥の深い演習でした。それは、人の話しを受け取ることの難しさを知った演習でした。どうして難しかったのかと言えば、基本的には「相手の言葉を使うことだけ」という制約の中で受け取る演習だったからです。
私たちは、人の話しを自分の中のフィルターを通して、自分の言葉で相手に返すことをなんの躊躇もなく行っています。しかし、本当にその人の話しを受けることは、実はその人の言葉の中にしか本当のことは見つからないのではないかと思うのです。相手の話しを、自分の翻訳機で自分の言葉にしたとたん、もはや相手の言葉はどこかに消えてしまいます。「辛い」と言ったら、「辛い」なのです。「辛い」という物語を聞いて、時々私は「悲しい」気持ちになります。そして、「悲しいですね」と言えば「辛い」はどこかに消えてしまします。その人の言葉である「辛い」気持ちを私は受けったことにならないのだと痛感したのです。
それから、その演習では、相手の言葉を使う制約の中で、自分の疑問を封印することになりました。私の中で起こったことは、「もっとこのことについて訊きたい」という欲求でした。しかし、よく考えれば、もっと「訊きたい」は、「聴きたい」ではなく、あくまでも私の欲求であり、相手もことを思っての行為ではないことに気づきまた。
相手の話しを聴くことは、「相手の言葉を丁寧に聴く」ことであり、相手の話しを受け取ることは、難しい。けれども、実はとてもシンプルであるとも気づきました。相手の言葉をどれだけ真摯に受け止めるかに尽きるのだと気づきました。
今年もあと少しです。皆さん、よいお年をお迎えください。