置き去りのスーツケース

ある日、名古屋駅で降りて職場に向かっていた時、道の真ん中に置きっぱなしになっているピンクの大きなスーツケースを見つけた。持ち主らしき人は近くにおらず、スーツケースだけがあります。空港を通ったらしいタグやシールがついていたので、きっと海外からの旅行者か海外旅行に行ってきた人のものなのだろう。しかし、人通りの多い道の真ん中にどんと存在しているのは、とても異様な気がした。人々はそれを何もないかのように通り過ぎていく。誰のものかわからないものを勝手に動かすわけにはいかないので、私も心の中はドキドキザワザワしながらそのスーツケースのそばを足早に通り過ぎた。
ドキドキしていたのは、爆発したらどうしよう、なんか怖いな、ということだった。このスーツケースは実は爆弾で、なんらかのテロ組織が意図的に置いたものかもしれない、わざわざ道の真ん中にあるのは、ちょっとでも動かすと爆発する仕組みになっているのかもしれない…今から考えるとバカバカしいほどのことだが、その時はそんな考えが頭をよぎった。(私の想像はまったくの取り越し苦労だった)
こんなことは、人間関係にもあるのかなと後から思った。その人と初めて会ったとき、どこから来たのか、どんな経験をしてきたか、どんな考え方や捉え方をするのか、など、まったくわからないとき、その人が何も話さずただそこに存在しているということは、とても大きな影響があるのだけど、たいていは自分から触れることに躊躇して、平気なふりを装っている。そのうち、自分の中でその人の少ない情報を大きく膨らませて、「きっとこんな人なんだろう」と(たいていネガティブな方向に)解釈してしまう。その人とのかかわりが生まれたら、自分が想像したこととは大きく違っていたり、取り越し苦労だったと思うのかもしれないのに。
自分がただそこにいるだけでも、人にとっては多少なりとも影響がある。そのことを意識して、自分から自分を発信していけたらいい。そんなことを置き去りにされたスーツケースから考えた。