関係をつくること
ここのところ、精神保健福祉士の現場実習の巡回指導で、いくつかの病院や施設を訪問している。この残暑厳しい中での移動はだいぶ身にこたえるが、学生の顔をみると元気になる。学生にしてみると初めての現場実習で、精神疾患をもつ方々や現役の精神保健福祉士に初めてじっくり関わることができる機会なので、厳しい現実に涙したり、自分のコミュニケーション力のなさを痛感することになる。教員はそんな学生の思いをききながら、支持したり、課題を明確にしたり、現場の実習指導者から指摘されたことを伝えたりしている。
学生の話のなかでよく出てくるのは、当事者とのコミュニケーションがとれないということである。当事者を理解することが実習の課題の一つに掲げられているので、初めて出会った人にこんなこと聞いたら怒られないだろうか、不愉快な思いをさせないか、自分のせいで症状が悪化したらどうしよう…などと不安や恐れが先に立ってしまい、何もできないでいるというのだ。当事者を理解するということは、「苦しみを聞き出すこと」と勘違いしているのかなと思う。普段よく行く場所や好きな歌手や昔したかったこと、休みの日の過ごし方など自然な会話の中でもその人を理解することはできるし、何より相手から受ける印象や話を聴いていて自分の中に起こる気持ちなども相手を知る手掛かりになるのではないか。自分らしくいたらいいと…学生には語ってみたりする。
しかし、私はとても人見知りなので実は初対面の人と関わることはとても苦手である。何話せばいいんか…と困惑もする。困惑していることを見せないようにやたら笑顔でいたりする。だから学生には偉そうなことは言えない。自覚しているだけましか、と自分をなぐさめてみたりする。関わることが苦手と思う背景には、関係をつくることが上手だなぁと思っている人のイメージがある。私はその人には遠く及ばないと思うから、自分にはできない、苦手と思うのだ。当事者を理解しようとがんばるあまりに何もできない学生の姿と自分自身が重なり合ってしまう。自分らしくあればいい…それは自分自身にも言っている言葉なんだなぁと思う。