言い切ること

先日、名古屋市内の施設に学生と共に見学に行った。この施設は、地域の中のたまり場という感じで、誰もが無料で利用できる。住宅街の一角にある民家を改造してできており、開放的で家族的でなんとなくホッとするような空間であった。かねてより、まちづくりに関心がある私は、こういう場所が地域の中にあって、誰もが利用でき、関わり合いを持てるのは理想的だと思って、施設を見学できたことはうれしかったし、学びになった。
この施設を運営している方から、お話を伺うことができた。定年まで看護師として病院や施設などで働いた経験をもち、病院や施設こそが病人や障害者を生み出すということを感じ、信念を持ってこの施設を作ったというお話である。
歳を超えているというのに、非常にパワフルで、私には耳の痛い話がたくさんあった。「精神疾患は、医者がつくり出すものである」、「精神保健福祉士は精神疾患を心の病だと思っている」、「精神疾患は早寝・早起き・朝ご飯・運動・読書で治る」など…。その言葉の強さに圧倒されてしまった。さらに学生たちに向かって「あなた方は障害者だ。経済的な困窮ということはWHOの国際障害分類では障害と分類されている。わかった?あなたがたは障害者。」と話された。その時にはさすがに耳を塞ぎたくなった。学生たちはどういう思いで今の言葉を聞いたのだろうと心配にもなった。エビデンスがあって話しているとは思うが、ここまで言い切られると、情熱は攻撃になる。強く言い切ることができるだけ信念を持っている。だからこそ日本でも珍しい施設を立ち上げられたのだろう。しかし…。
私はかねてより言い切れる人はうらやましいと思っていた。私が自分の考えを話すときはたいてい「私は」という言葉を添えて話す。考えの背景にあることもなるべく伝えようとする。しかし、言い切れる人の言葉は強いし心に響く。しかし誤解もされし反発もあるだろう。言葉はもろ刃の剣である。私はやはり言い切る人がうらやましい。それだけ強い信念を持ちたい。でもそこには必ず相手がいることを忘れないでいたいと思った。