赤チン
扁桃腺を切っていません。兄がいますが、兄は切りました。昔は扁桃腺を切っていたそうですが、なぜか兄と私の間の年くらいから扁桃腺は切らなくてもいい、というふうになったと聞いたことがあります。
扁桃腺を切らなかったせいか、その後はとくに季節の変わり目だったり、冬の寒さの間に喉が痛くなります。つまり、扁桃腺が腫れます。扁桃腺が腫れ、喉が痛くなると、塗るものがありました。ルゴールです。針金よりも少し太い棒状のものが、端っこは丸い形をして指が入れられるようにしてあり、もう一方の端は棒をねじった形状をしています。脱脂綿をもってきて、適当な大きさに切り、それをそのねじれているところに巻きつけます。取れにくくするためのねじれです。脱脂綿がしっかりつくと、それをルゴールの瓶に突っ込みます。ルゴール液を吸った脱脂綿を口を開けた奥にある扁桃腺に塗ります。そうするとむせて、むせて。でも、よく効きました。
過日、喉に痛みがあったので、ドラッグストアに行きました。店員さんに「ルゴールください」といったら、「それはなんですか?」と聞かれました。ルゴールは市民権をもう得ていないようです。
「最近、おたんちんって聞きませんね」と車を運転中にラジオからの声がいっていました。確かにおたんちんは昔はよく使ったと思いますが、いつの間にか言葉遺産になってしまったようです。天花粉もその価値がありそうです。子どものころは、特に夏の風呂上りにあれはパフというのでしょうか、それに粉をつけ、全身に塗ってもらった思い出があります。当時、天花粉の入れ物は紙製だったような記憶があります。天花粉はその後、シッカロールと、そして今はベビーパウダーというサラッとした名前になりました。でも、なぜ天の花の粉なのか?これも言葉遺産に登録されてしまったのでしょうか?
最近の若い人たちは今でも使うのかどうか知りませんが、「たわけ」とか「やっとかめ」といった名古屋弁は、私は由緒ある言葉だと思います。田を分けることの愚かさを評した言葉ですし、久しぶりに会うのを「八十日目」というのは、なんとなく楽しい気分にさせてくれます。
歴史に詳しいわけではないですが、江戸幕府開府のときに多くの三河武士が江戸に下向したことを考えると、江戸の言葉のベースになったのは三河弁だっただろうし、そこにいろいろなところから江戸の街に集まってきて商人や町人になった人たちの言葉が入り混じって東京弁ができたとするなら、三河弁特有の言葉が残っているのではないか、という気がします。ですが、「じゃんだらりん」を代表する三河弁の言葉で残っているものはあるのでしょうか。ひょっとして「じゃん」という言葉は、あれは三河弁が残っている、ということでしょうか?
おそらく江戸に居ついた三河武士の言葉は、町人言葉に駆逐されたのだろうと思います。言葉は生き物なのでしょう、姿を変え、扱われ方を変え、イメージを変えます。
「赤チンって知ってる?」と聞いたら、そこは看護学生、みんな知っていました。「でも、今はないですよ」、「え?なんでないの?」、「赤チンには水銀が入っているから、使わないんです」・・・。
時代とともに言葉は変わりますが、商品も変わります。
でも、「~じゃね?」という若者言葉は、どうにも受けつけがたい私です。