グループプロセス・ファシリテーター・トレーニングのその夜 

 それは不思議な感覚です。
 今、「グループプロセス・ファシリテーター・トレーニング」が行われています。2月27日、28日と行われ、3月5日、6日と後半につながっていきます。
 6回のセッションがあり、同じグループメンバーが一人ずつ交替しながらグループをファシリテートしていく体験が続きます。ファシリテートが終わると、グループメンバーはフィードバック用紙に記入し、ファシリテーター役の人にフィードバックをしていきます。
 担当スタッフは、ボスと私です。全体のプログラムの構成、各セッションの中身、小講義の検討などを事前に済ませ、当日は全体の進行、小講義、そして各セッションでのフィードバック・タイムに臨みます。
 臨みます、といってもグループメンバーではないので、基本的にフィードバックに入ることはありません。ありませんが、しゃべりたくなるのか、おせっかいなのか、自己陶酔かもしれない私は、ついぞ口出しをしてしまう始末。本当に始末が悪い。

 

 その体験は、その夜です。
 マルチン・ブーバーが語っていることは、よく理解できていません。ただ、横着にもそのことばだけを使わせてもらうと、「我=汝」の感覚といったらいいのでしょうか。
 いったい「わたし」と「あなた」を分けているもの、隔てているものは、なんなのでしょうか。「わたし」は「あなた」に声を発する。でも、その声は「わたし」に発した声でもある。「わたし」はいかにも「あなた」に届くように行為をするが、その行為は「わたし」に届くための行為となる。空間的な乖離、あるいは肉体としての存在の違いはあるとしても、そこには「わたし」が「あなた」という「わたし」に発しているものがある。別人格であり、性格も、考え方も、感覚も違うとしても、それらが統合された主体としての「わたし」は、「あなた」であり、「わたし」である。

 

 そう思うと、「わたし」の言動、そして思考も、感情もすべては、「わたし」に発せられ、「わたし」に帰する。「わたし」は、「あなた」という「わたし」のために生き、存在する。
 なにとはなしに思うのは、そこには「個」を超越した、「個」の集まりが「全」ではなく、「全」そのものが「個」となる、その感覚・・・。「あなた」を傷つけることは、「わたし」を傷つける。「あなた」を悲しませることは、「わたし」を悲しませる。「あなた」がよろこぶことは、「わたし」をよろこばせる。