土づくりから
何年か前に、思いつきで庭に枝豆の種を播きました。庭の花や木に水をやるくらいしかしたことがありません。庭の空いているところに播いただけです。数か月後、芽が出てきました。芽が出てくるとなんだか楽しくなるもので、可愛く愛おしくもなります。わが子は日に日に成長し、葉を広げ、花を咲かせ、実をつけました。結構な収穫量があり、その年はおいしく枝豆をビールとともに食べました。
連作はよくない、と素人は勝手に思い、次の年はなにもしませんでした。
それから数年後、げた箱から大根の種が出てきました。買ってきた油粕を土に混ぜ、説明書きにあったように畝を作り、種を播きました。1週間、10日と日は立ちましたが、一向に芽が現れません。今度のわが子は一筋縄ではいかないようで、そうなるとこれはなにかしないと育たないのだ、とわかります。まずは土づくりをしなければいけないのだろう、ではどうやったら土づくりができるのか、いろいろ調べているところです。
なにかを始める時の動機は様々です。自分が目指すところのものがあるから始めることもあるでしょう。そうせざるを得なくて始める場合もあるでしょう。他の選択肢がなかったり、必要にかられて始めたり、やらされるという時もあります。どんな動機からであれ、始めることにはエネルギーが必要となります。夢や目標に向かって消費するエネルギーは、エネルギーがエネルギーを再生産するようなところがあるように思います。たとえは変ですが、無駄になっていた減速時のエネルギーを再利用しようとしたハイブリッド・カーに似ている気がします。転じて自分の意志が(あるいは意志エネルギーが)伴わないと、気持ちや感情も萎えがちになり、意志のベクトルとは反対方向のベクトルが働いて、結局プラスのエネルギー量が減ることになる。この意志エネルギーを相乗的に、シナジー的に高めていくことはできるのか、できるとすればどうするか。
4月1日をもって日本体験学習研究所は一般社団法人としてスタートを切りました。代表理事をはじめとしてそれぞれのメンバーがそれぞれのもつ個性や特長をもって法人化へと向かいました。エネルギーはその質や中身や量も人それぞれで、だからこそエネルギーが産み出すものが多彩な実をふくらませます。マイナス(と思われる)エネルギーも、それがエネルギーである限りプラスのベクトルへと作用させることもできます。そこに描くもの、ありたい姿、望む社会があり、そのために土づくりをし、畝をつくり、種を播き、育てる、育む。成長する時間を楽しめることも(そして、なかなか芽が現れないことも)またエネルギーに変え、向かっていく。
アボガドを食べた後、その種を植えました。もとはメキシコ産だから、この芽が出てきたらご愛敬です。