ダイバーシティ&インクルージョン
エレベーターに乗っている人たちがいる。そのエレベーターが故障かなにかで停まる。そこから脱出しなければならない。その時、集合体である単なる人の集まりからグループになる、という例をボスがときどき使います。 チームとはそのグループが複数あり、競争事態が起こると、集団として向かう共通の、あるいは共有する目標や方向をもち、競い合うチームとなる。
高校生のとき、ラグビーをしていました。ラグビーは1チーム15人で行われる競技です。その15人は一人ひとり役割が異なります。スクラムの最前列で相手チームと御する人は、たいてい身体が大きく、重い人がなる。スクラムの中に入れられたボールをかきだすフッカーは、どちらかといえば小柄で身軽な人。ロックはおもに背が高く、ラインアウトのときにラインから投げ入れられたボールを飛び上がって取る。足が速い人はウィング、フルバックはパントがうまい人など、それぞれの人の役割が決まっています。一人ひとりの能力や技術、もっているもの、身体的や精神的なもの、個性を含めてポジションが決まる。一人ひとりは自分の役割がなにかを認識し、自分の技術を高めるためのトレーニングをします。その一つひとつが結束してチームとなり、勝利という目標に向かって動きます。試合中にだれかがつぶされることがある。その時は、他のだれかがその人の役割を担わなければならなくなる。自分の役割だけをこなしていればいい、というわけではありません。
ダイバーシティということばが登場したのはいつからだったか、でも最近のことではないと思います。先日、南山大学人間関係センター主催「ダイバーシティ&インクルージョン」の講演会がありました。”visible”と”invisible”のことばが一番残っています。ジェンダーや肌の色や民族や宗教や、”visible”といえるだろうことは取り組みやすい(と思う)。”invisible”はどうか。
組織には文化があります。組織に入ると、その文化に染まっていきます。新卒の人はそれほどではないかもしれませんが、中途で加わった人だと前職の組織の文化を体験しているため、染まることに馴染まなかったり、苦労したり、染まらないことで異質な扱いを受けるということもあるかもしれません。組織が目標を達成するために、組織の一人ひとりが同じ志向性をもって向かうことは、生産性、効率性、適時性などからしても大切な要素であることに疑いの余地はないと思います。組織という“細胞”に異質な刺激が与えられると、組織は活性化され、次元の異なる新たな細胞へと“進化”する可能性もあるように思います。
この”invisible”といえる多様性。それは、女性の比率を増やすとかいったことばかりでなく、現に今ある組織がすでに多様な人で構成されているということからスタートすることなのかもしれません。そのためにできることはなにか。組織の中にいる人はどうあるか。組織をどうするか。いろいろ可能性があるように思います。
故障したエレベーターから脱出すれば、チームはチームでなくなります。脱出するという偶発的その場しのぎ的ばかりでない目標。一人ひとりが活きる場。エレベーターを要しない組織。内包。