あの頃、
ブラジルで生活していたころに大変お世話になった人がいます。移住をされ、屋根にあいた穴から星を見ながら寝ていたというほどの苦労をされた方です。今はプールのある家でGoiaba(グアバ)を育て、街で日本食レストランを経営しています。とても面倒見がよく、人当たりもいい。それに甘えてレストランでよくごちそうになったし、声をかけていただいて何度もご自宅で過ごさせてもらいました。
その日本食レストランを閉めた、という話が舞い込んできたのは1月です。それはもうびっくりしました。ブラジルを訪れ、もう一度あの店の皿うどんを食べたい、と思っていたので、ショックでもありました。
ブラジルから日本に戻ってもう何年も過ぎてしまいました。ブラジルで生活をしてみて、生まれて初めて体験したことが数多くあります。私たちが住んでいる地球は、日本人のもつ価値観や習慣や考え方、思考のパタン、道理だけではないのだな、ということに気づくまでに3か月かかりました。ブラジル人は多くはセンチメンタルでナイーブで、おそらく“今”の日本人よりは親切であり、世話好きで話し好きでもあります。5時過ぎの通勤電車は話し声でうるさいくらいですし、ブラジルの国内便でだれかがギターを弾きながら歌い出したら、機内の全員が合唱を始めた、という話を聞いたこともあります。空港で飛行機を待っていたらとなりの人が話しかけてきて、いろいろ
話をしていたその人が自分の腕時計を見て「しまった、飛行機が飛び立ってしまった」ということもありました。
リオデジャネイロの地下鉄は、日曜日は休みです。某日曜日、バスに乗っていました。するとバス内がざわめきはじめました。なにが起こったのかわかりません。と、バスは急発進。日曜日のリオデジャネイロの道路は空いています。バス停をすっ飛ばして向かった先は病院でした。乗客がこぞってひとりの女性をかかえ、病院内へ。バス内の全員で大喝采。
日本では考えられないこと、だけどなにか心温まることがそこにある。なにが大切か、なにを大事にするか。
リオデジャネイロの日本食レストランが閉店になることから、自分があの頃受けた刺激や感動や感謝が日本での月日の長さに紛れ、薄まり、忘れかけていたものが再び呼び戻された気もちになりました。