守破離
正月にNHKの番組で「父と子 市川猿翁 市川中車」をみました。
市川猿翁は襲名前は市川猿之助、市川中車は俳優の香川照之です。二人は血がつながった親子ですが親が離婚したため、母親の浜木綿子に引き取られました。3歳のころです。その後、香川は俳優となり、大河ドラマ「利家とまつ」の豊臣秀吉、最近では同じく大河ドラマ「龍馬伝」の岩崎弥太郎、「坂の上の雲」の正岡子規役を演じています。個性的で数々の賞を受賞している役者さんです。
その香川照之が俳優としての自分のなかに蠢くものがあったのでしょうか、子どもの團子の存在があったからでしょうか、梨園に入ることになったのは47歳です。47歳からの歌舞伎ですから、その所作や発話の練習など襲名公演を前に必死で取り組む中車の姿が映し出されています。40年以上も“見放されて”いた父親からの教授を受け、ありがとうございます、と涙ながらに頭を下げる姿がとても印象的でした。襲名公演のとき、従弟である亀治郎改め四代目猿之助が中車の楽屋を訪ねてきました。「もう型はできているんだから、自由にやればいいよ」。
日本のおよそ「道」のつくものには、「守破離」の考え方があります。考え方といっていいのか、教えというのかわかりません。「守」は「型を守る」、「型」が見について後に自分の型を破っていく「破」、そして「型」からも離れ独自のものをつくりだしていく「離」。四代目は中車を見ながら「破」を説いたのでしょう。
四代目のことばを聞いてファシリテーションにも当てはまるところがあるのではないか、と思いました。私はファシリテーションには「型」があると思います。ファシリテーターになるにあたっては、よき師につき、師の考えやふるまいを観、盗み、師の教えを仰ぐことが一番初めに取り組むことだと思います。それがあって「破」がある、「離」がある。
私自身はどうか、というと「守」の真っただ中といったところでしょうか。技法的なことはともかく思想を頭だけは理解し、それが行動として伴っていない、そんな自己評価です。と、こんなことを書くと、あんなやつにファシリテーターは頼めんな、と言われかねませんが、日々精進しておりますのでご厚情、ご贔屓をすみからすみまでず、ず、ずいぃーっとぉ、乞い願いあげたてまつりまするぅ〜。
規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本ぞ忘るな (千 利休)