命
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九州での研修を終え、空港で飛行機を待っていました。定刻になっても呼び出しはなく、やっと
のアナウンスも心なしか慌て気味。その内容も定刻に飛び立てずに申し訳ない、もうしばらくお待
ちください程度の説明です。見ていると、グランドスタッフが緊張した面持ちでバタバタと走り
回っています。乗る乗客の私としては、なにがあったのかな、飛ぶのかな、飛んでも大丈夫だろう
な、と不安が湧いてきます。20分から30分くらいの遅れだったでしょうか、搭乗手続きが行われ、
飛行機は無事離陸し、名古屋に戻りました。
先日、身内が手術をしました。無事手術は終わったのですが、病室に戻る途中でストレッチャー
の上で突然おう吐し始めました。びっくりしてただ立っているだけだったのですが、看護師さんは
もうひとりの人に「毛布を丸めてください」、「腰にあてがってください」、「身体を横にしま
す」などとゆっくり明瞭に指示。病室に戻ってすぐに吸引を始めました。その吸引も負担をかけな
いように的確に、短時間でしようとするのが見てとれます。「ほんとうに感心しました」と後で看
護師さんにいったら、「もうドキドキものでした」といっていました。
自分があせると、それが人をあせらせます。あせることばや振る舞いが、他の人にプレッシャー
や疑念を湧かせます。私自身、図に乗ると自分のことにとらわれて周りが見えなくなり、ついつい
早口になります。そして、後からそのことを指摘されます。学ぶ人が学ぶためにいるその場を守る
ことが役目なのに、学ぶ人がこちらの早口に気を取られる、学ぶことに傾注できないとすると、
ファシリテーターとしてはその責務を果たしていない、といえます。
看護師さんは命と向き合っているから、なおさら冷静さが求められます。ファシリテーターも学
ぶ人がその命との対話で学んでいるとすれば、なによりそれを尊重することが役割だろうと、今後
のファシリテーションへの指針となりました。