ちりとてちん

 春学期が終わりました。
 4月からをふりかえって思うことは、人は成長したいという思いがある、ということです。成長ということばが大きすぎるならば、変化したい、変わりたい、変えたいと思っているといってもいいです。
 おそらく今の自分に満足している人や納得している人もいるでしょう。そういった人たちのなかには、成長とか変化を望まない、求めないという人もいるかもしれません。かくいう私も、成長、成長って人は必ず成長しなければいけないものなのか、と成長神話に圧迫感を感じるようなことがありました。
成長とか変化するということは、自分に満足しているしていない、納得しているしていないとは別次元だろうと思います。満足していない、納得していない、だから変わりたいという欲求がそこには生まれることもあるかもしれません。しかし、自分に満足していたり、納得していたとしても、やはり成長したいと思う人もいるだろうし、変わりたいと思う人だっているだろうと思います。
ここまでつらつら書いてきて思うのは、成長するとか変化するということには、欲求とか、そしてその思いすらも必要ないのかもしれません。成長や変化の定義にもよるかもしれませんが、人がそこにいて、ほかの人と交わったりしてぶつかったり、共感したり、びっくりしたり、よろこんだり、といった体験をする、その体験をどのように感じ、どのように受け止め、どのように消化するか。栄養分として吸収するか、そのまま排泄するか。
 人間も箸とおんなじや
 研いで出てくるのは 塗り重ねたもんだけや
 いっしょうけんめい 生きてさえおったら
 悩んだことも 落ち込んだことも
 きれいな模様になって出てくる
 おまえのなりたいもんになれる
 2008年にNHKで放映された朝の連続ドラマ「ちりとてちん」からのことばです。
 結果としてあるのが、成長したとか変化したとかということなのかもしれません。
 今日は、学部生のファシリテーションゼミのファシリテータートレーニング合宿3日目です。