保育園

久々に保育園に行きました。

このところ行く機会がなかったので、きちんとできるかどうかちょっと心配だったのですが、なんとかなるだろうと思い、出かけていきました。ポルトガル語の通訳ボランティアです。

初めは授業参観です。先生から色画用紙をもらい、子どもたちが絵を描き始めます。子どもたちはのびのびと自分の思う絵を描いています。見ていると、中には親のほうがクレヨンをもって描いている人もいたりしてなかなかほほえましい光景です。次は遊戯室に移動して劇ごっこ「おおきなかぶ」のお披露目です。子どもたちは照れながら、恥ずかしそうにしながらおおきなかぶをみんなでスポッと抜きました。劇ごっこが終わると子どもたちは教室に戻り、親御さんたちの懇談会が始まりました。このクラスの親御さんは、ブラジル人の他、中国人、フィリピン人がいます。私がついた人は、来日22年のブラジル人のおかあさんです。

 22年もいるなら話すこともできるだろう、と思いがちです。おそらく話すことができると思います。ただ、ブラジルの人たちはけっこうシャイで、人前で話すことを恥ずかしがる人が多いように思います。実際、彼女も他の人の日本語はわかっているようでした。

 集まった人のなかにはお父さんも二人いました。それぞれが自分の子の成長とか家での子どもの様子などを話し、それを聞きながら他の親御さんが「うちも、うちも」とか「へぇ、そうなの」とか言い合って、子育ての経験がない私も楽しくなってきます。仕事が長引いて9時ころに家に着くときでも晩御飯はいっしょに食べさせるという人、うそをついたらげん骨で頭をたたくという人、子どもがかわいくてどうしてもチューしちゃうけど他の家ではどうですか?と聞く人、出かけるよと言ってもズボンを履くまで30分かかるけど他の家はどう?と聞く人、子どもが自分から全然離れないがいいだろうか?とたずねる人など、それぞれの家庭の様子が思い浮かびます。そんな中、一人のおかあさんは園長先生や担任の先生をさしおいて「それいいよね」、「いいこというじゃん」などと場を仕切ったりするので、これがまた楽しい。だから他の人も自分のことを言いやすくなっている(ちなみにその人のご主人はトルコ人、だそうです)。

 えらいな~と思ったのは担任の先生。話し始めたけれど他の人の声に重なって話せなかった人に改めて声をかけたり、子どもたちの気もちを大切にしてくださいねと伝えたり、この先生は場をよく観ています、ファシリテートしています。保育園の先生というのは、子どもたちの身体の成長ばかりでなく、心の成長にも寄り添っています。

 親御さんたちの話を聞いていると、この親御さんたちも子どもを育てながら自分が成長しているのだな、と感じます。子育ては大変で愚痴のひとつもでるだろうけれど、懇談会という場で親としての自分の悩みや気がかりを親同士が共有し、他の親の話を聞き、それで互いに自分の家に持ち帰って子どもと接する。仕事を休んで参加しなければならないけれど、この場が互いの気づきの場になる、安心の場になる。自分がそうした体験をしないままにいることは、もったいないことだなあと思えました(まだこの先、わからないけれど…)。

 ところで、私の通訳です…。単語も忘れ、ことばも出ず、ごまかしごまかしで、通訳することより自分が楽しむことに気がいってしまいました。ヤバイ、勉強しなおしです。

Um beijo e grande abraço. Tchauzinho.