死、そして生
我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、 死においては平等である。(ロレンハーゲン)
ほんの2ヶ月ほど前のできごとです。その一瞬で多くの尊い命が奪われ、生命が絶たれたことによって残された人ばかりでなく、メディアでしか知りえない私たちも未だに悲しみにうちひしがれます。もちろん、家族や親類縁者、友人を失ったわけではなく、財産をなくしたわけでもない私の悲しみなど、目の前の瓦礫の山を見ては悲嘆な思いをされている被災地の皆さんに比べれば米粒ほどでもありません。被災地の皆さんは、それほどに大きな悲しみのなかにあることと思います。
テロリストの集団の首領が殺害されました。これまでに多くの人命を奪い、人の心に大きな傷を残した事件のひとつの節目とされています。ニュースでは大喜びしている人たちが映像に映し出されています。
私は、当事者でもないし、直接的な利害の関係する者でもありません。テロリストにより地球規模の平安が損なわれようとしていることに断固として反対します。
義とはなにか。
テロリスト集団は、行いはテロ行為であり、それは自らの主義主張を押し通すために暴力という手段で他を制圧することをよしとすることだろうと思います。
テロリスト集団の行為を武装勢力で制圧する、暴力で暴力を封じ込める。
私たちの平安はどこにあるのか。私たちがともに平和に暮らせる平らな世はどうしたら生まれるのか。そうでなくても多くの人が一瞬のできごとで命を落とし、悲しみに明け暮れているのに。