自分探し
今日の中日新聞文化欄で鷲田清一・大阪大学学長が書いています。
「「自分探し」という強迫観念。「わたし」という私的存在をめぐって、ひとびとは他人になくて自分にしかないものを探りあてないと自分が消えてなくなるという不安にあえいでいる。でも、自分が他のひとと同じようであってなぜいけないのだろうか。」
前後の文脈を示さないので誤解を与えるかもしれませんが、この文意はあたっていると思います。わたしが「わたし」を問うとき、他者と区分して「わたし」の独自のものを明かそうとする。それがかなわないとわたしは「わたし」でないという自己の存在の否定にもつながりかねない。しかし、まあそう狭隘にとらえなくても、と感じます。
ただ、「自分探し」で探しているものは、わたしのアイデンティティばかりではないでしょう。もし自分探しに解があるならば、そこで「わたし」の成長もおそらくとまってしまうのではないでしょうか。
わたしたちは常に変化のなかにある。その変化に乗っかろうとするだけだったり、追いかけるだけならば、そこに「わたし」はあるか。わたしが「わたし」であるためには、わたしは「わたし」であるという見極めが必要なのかも、そんなことを思いました。