バス

 のぞみよりもひかり、こだまのほうが好きです。
 新幹線よりも鈍行列車のほうが好きです。
 自動車よりも自転車や歩くほうが好きです。
 いつのことか、もう忘れてしまいました。京都だったか、大阪だったか、とにかく新幹線には乗らず、高速バスで西へ向かいました。山に白いものが見えたのを覚えているので、冬だったと思います。
 濃尾平野を過ぎ、道には山がせまってきます。閑散としたバスの右窓側にすわり、なにを見るのでもなく、視点も定まらず窓外の凍った空気を眺めます。
 ふと湧いてくるものがあります。
 “ああ、オレは、この間を求めているんだ”
 流れる空間と移ろう時間。そこに浮揚する“わたし”。
 今になって思えば、プロセスというものなどに導かれていったのは、すでにここから始まっていたような気がします。
 不東。
 「東はない」と天竺へ向かった三蔵法師は、その歩を西へ、西へと進めました。その覚悟に大きく後れを取ってはいるのだけれど、たまたま西への旅の途上だった“わたし”。
 以来、私のパスポートに出国のスタンプが押されることはなく、今はすでに失効しています。