ひとつの別れ

この間も一つの別れを経験した。

いままでもたくさんの方の看取りに携わってきたけれど、
いつも、いつも、色々なことを考えされられる。
今回も、自分と同じような年齢の方の臨終に立会い、
その人の生き方は、私とはとても違う生き方をしてきた人だった。
看取りを経験して思うことの一つに自分が心から共感できる生き方を
している人には、それほどのストレスを感じないことが多い。
体験学習をしていて、共感するということを
実習で学んだり、知識をして、理解することできる。
でも、実際には、共感することの難しさを肌で感じている。
そして、共感で
きない場合、看取りの援助のする上で、
看護者は、悩み、これで本当によかったのか、
別のアプローチがよかったのかをカンファレンスを話し合い
検討を重ねても、やはり充実感が得られないことが多い。
看取りの援助は、やり直しのきかない、援助をうけてきた本人の
意思を確認することができない難しさがある。
今回の別れも、その人の抱える複雑な人間関係の中で、
最期まで、看護者に対して心開いてくれないまま、
その人がどのように生きて、死んでいきたかったのか
分からずに見送ったのである。
一歩、踏み込んでその人に近づこうとするとさらりとかわされてしまう。

係を結ぶことが難しい方であった。
一瞬、一瞬がとても大切、看護の世界は、
コンテントとプロセスがどちらも非常に大切、
コンテントがおろそかになるとプロセスにも
とても、大きな影響を受ける。
だが、プロセスをおろそかにすると看護に大きな影響を与え、
信頼関係を損なうことになる。
今回も看護の奥深さにため息をしつつ、
明日の看護につなげようと思うのです。