素直に受け容れる

6月7日にJIELの開設記念にあわせて、フューチャーセッションとパーティを開催しました。のべ30名くらいの方々が参加していただき、とても楽しい時間を過ごすことができました。フューチャーセッションでは、研究員の杉山さんと共にファシリテーターをつとめました。個人的には準備はいろいろしたものの、何か足りないことがあるのではないかと開催前はとても不安でした。最終的にはなんとかなる、みなさんの力を借りればいいんだという気持ちになるのですが…。終わった後は、大丈夫だっただろうか?開催した意味があったのだろうか?と不安がもたげてきました。多くの方から、いい機会になった、有意義だったという言葉を聞いたにもかかわらずです。
後日、学生の見学実習の付き添いである精神科病院に伺いました。その病院は私が5年前まで勤務していたところです。3年ぶりの訪問でした。職員も利用者さんもたくさんの方から声をかけてくださいました。ある女性との会話が心に残りました。以前は風当たりが強かったご家族が、最近とても優しくなったということです。私が「それは○○さんが一生懸命がんばっていらっしゃるからですよ」を伝えたところ、「そう、がんばっているの。だから今の私を認めてくれているんだと思う。」と話されました。私の言葉をそのまま受けとめてくださって、とても気持ちのいい会話だなと思いました。私自身も大切にされているような気持ちになりました。私だったら確実に「そんなことない」と言っていただろうなと思います。
受け容れるという言葉に「容」を使われるのが、以前からちょっと不思議に思っていました。私が記載するときはいつも「受け入れる」を使っていました。でも彼女との会話を通して、心のうつわにすっぽり包まれるような感覚が、まさに「受け容れる」なんだなと思いました。私はどうなんだろう…。