昔取ったきねづか
新年があけて半月が経ちました。つい2週間前まで「あけましておめでとうございます」と言っていたのが懐かしく感じます。
JIELのボス、津村所長は道具にこだわる人物で、先日も最近衝動買いしたモノの話をしておりました。ちなみに衝動買いしたモノとはピアニカだそうです。小学校の時に使っていたあの鍵盤ハーモニカです。電気は使わないのでどこでも演奏できるし、結構大きな音が出るし、できる人が演奏するととってもかっこいいのだそうです。私は人からこれはいいよという話をきくと、それだけで欲しくなります。それに鍵盤ハーモニカとかピアニカという懐かしい響きにそそられて、早速購入しました。それが今日届いたのですが、昔使っていたものより鍵盤が増えて、カラーもワインレッドでなかなかかっこいい!何を弾こうかわくわくしています。
私は4歳の時から20歳頃までクラシックピアノを習っていました。子どものころは、ただただ練習が嫌で火事でピアノが焼けてくれたらいいのにと祈るくらいでした。でも年1回練習の成果を発表するコンサートでうまく弾けたときの達成感は半端ではなく、その気持ちを味わうことがモチベーションで続けていたようなものです。しかし、今から思えば、辛くて泣きたいときこそピアノを弾いていました。感情を込めて弾くことでだいぶ精神的に安定していたような気もします。就職とともにピアノはやめました。やめてしまえば練習をしなくてもいいので、楽な方に流されて、ピアノに向かうこともほとんどなくなり、10年以上が経ちました。10年も弾かないとピアノを習っていたことさえ忘れてしまい、自己紹介でそのことを話すこともなくなりました。
20年近くもピアノを習っていたこと、そこで得られたことはたくさんあり、これって私の大きな財産で誇っていいことなのに、なんで私はそれを隠すようにしていたのか?それは他者から「ピアノを弾いてよ」と言われてもうまく弾けないからなのです。そんなこと言われることなんてほとんどないのに、つまらないことを恐れていたんだなと思います。ピアノを久しぶりに弾いてみました。手が動かない…複雑な楽譜が読めなくなっている…それでも2回、3回と繰り返していくうちに少しずつ勘が戻ってきました。昔取ったきねづかだななんて思いました。
衝動買いしたピアニカとあわせて、演奏を楽しみたいと思います。人のためではなく、自分のために。