異なる人たちと共に生きる

南山大学人間関係研究センターが年に1回「組織開発ラボラトリー」という講座を開催しています。今年は2月に山梨県清里の清泉寮で開催され、ゲシュタルト組織開発を実際にやってみる体験を通じて学びました。具体的には参加者がグループに分かれて、それぞれコンサルタントチームとクライアントチームの両方を体験し、外側から組織を診断し介入する体験と、逆に診断・介入される体験を全員がしました。
それから、3ヶ月近くが経ち、記憶は徐々に薄らいでいます。しかし、そのときの体験が心に残り、そのときにいっしょにかかわった人たちの話をきいて「あのとき何が起こったか」を今も探っている人がいます。1つの出来事に10人がかかわれば、その出来事の見方は十人十色。立場や役割が違い、感じ方や考え方も違いますから、それは当たり前のことです。

そうわかってはいるものの、自分とは全く異なる立場で同じ出来事を体験した人の話をきくと、正反対の見方をしていることもあり驚きます。なぜ驚くかというと、その正反対の見方も現実だからです。人間は多様な存在であり、同じ出来事を共有していても、それをどう思い、どう考えているかをきちんと開示して話し合わなければ、同じ現実を生きることは難しいのだと実感させられます。
フィードバックは「自分の見えたことを伝えるもので、良い・悪いの評価ではない」とよく言いますが、まさにそういうことだと思います。「良い・悪い」の判断は、その人が自分の見方のなかでするものであり、決してそれが正解でもなければ、真実でもありません。もし、自分の見方を声高に主張して異論や反論を認めない人がいたら、少なくともその人の前では本当に自分が思っていることを言わない人が増えるだけでしょう。
みんなでいっしょに組織や仕事を動かすためには、合意形成も必要です。しかし一方で、自分や他のメンバー1人ひとりの様子や感じに関心をもち、きき合える関係になることも大切です。私はそんな異なる存在である人間が、お互いを認め合って共に生きることに関心があります。