シェアの時代

昨年当たりから「シェアハウス」という言葉をよくききます。家賃の高い東京では、友達とシェアして住んだほうが安いのかと思っていましたが、実際のところ、一人でワンルームマンションを借りるくらいの費用を各自が出し合い、何人かで集まって、リビング・ダイニング付の一軒家を借りる人たちが多いようです。つまり、コスト削減というよりも、みんなで楽しみながらうるおいのある暮らしをするために、同じ思いをもつ人同士が集まって住み始めるということです。
 また、若い世代はクルマを購入しない傾向も強く、今やカーシェアリングのシステムも商品として定着してきました。かつて私の若い頃は、所有する必要はないけれど、使用するものは「リース」するとよいと言われていましたが、今はリース以外に「シェア」という選択肢が明確に存在しているわけです。
 そう考えると、昨今の Twitter や Facebook といったソーシャルメディアは、自分の日常のワンシーンやその場の思い、気持ち、あるいは耳より情報などをみんなでシェアし合うツールだともいえましょう。
 こうした現象に気づき考えたのは、「あなたは何をシェアできる?」という特集を組んでいた雑誌「広告」vol.386 を読んだから。何年か前に「下流社会」というベストセラーを書いた三浦展さんは、この雑誌の中で「消費はするが私有じゃない、ものじゃない、むしろ人とつながれる共同利用的な行動を重視する、そんなライフスタイルがあるのかもしれない」と述べ、シェアするものとして最大のものは「地球」だと指摘しています。
 地球を豊かな国だけで独占するのでないのはもちろん、人間だけでもなく、生物すべて含めて共にシェアすること。これをいかに実現するかを考えなければいけないという意識が、「世界的に芽生え始めているのではないか」と三浦さんは言います。だとしたら、シェアという概念が広がってきたことは、まさにタイムリーで人間にとって必然といえるかもしれません。
 所有〈私有〉一辺倒だった社会から、シェア〈共有〉を取り入れた社会へ。こうした時代の変化は、「私がある」ことから始まり、他者と「共にある」ことを試行錯誤しながら実現していく人間〈あるいは人間関係〉の発達と同じこと。その実現には難題や葛藤もあるでしょうが、それぞれの存在を認めて共にありたいと心から思います。