バルナラビリティ
vulnerability.
院を修了し、その後もしつこく研究生として居続けてゼミ生の先輩面をしながら現役生の修論にいちゃもんをつけていた頃、ひとりの院生が入ってきました。インド人の彼は流暢な日本語を使い、彼の研究を話します。その研究テーマのなかの一単語が「バルナラビリティ」でした。恥ずかしながら初めて耳にする単語でどんな意味かわからない。日本語に訳すと「脆弱性」という意味のようです。彼の研究が何だったのか忘れましたが、この単語は忘れませんでした。彼は無事修士課程を終え、その後ヨーロッパの某大学の博士課程に入学しました。
スタンフォード大学にはマインドフルネス教室があるそうです。日系2世であるスティーブン・マーフィ重松が担当し、どんなことをしているかを「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」で語っています(2016、講談社)。スタンフォード大学はアメリカでも名だたる大学で、全米から優秀な学生が集まってきます。そんな彼らに「弱さ」を話しているのだそうです。
スタンフォード大学にも入れるほどの優秀な学生なればこそそこまでの人生も一所懸命がんばってきただろうし、成績も運動もその他の活動も努力を尽くしてきたのだろうと思います。そして大学に入り、自分が優秀であり、優秀であり続けなければならないといった呪縛ともいえるようなもの、ディスコースに縛られているかもしれない。平静のなかで自分を見つめ、自分の弱さに気づき、自分の弱さを認める。
重松さんの意図するところとは違うかもしれませんが、自己と対話しながら自分のありようを確かめ、受け容れる、そうした禅的なものが西洋社会にも求められているのだろうと思います。「強さ」は私たちにとってエネルギーを与えるものであるだろうし、自分の存在を際立たせ、鼓舞させるものかもしれません。でも、「弱さ」もたぶん、私たちにとって大切なもののように思います。
先日テレビを見ていたら、豊橋科学技術大学がニュースで取り上げられていました。今、「弱いロボット」を開発しているのだそうです。「弱いロボット」だから人との「人的な」つながりが生まれやすいとするなら、人同士だって人のもつ「弱さ」が「強み」にもなる。そんなことを思いました。