後悔
最近読んだ本に、歳をとると後悔することが少なくなる、と書かれていました。人生の残りの時間が少なくなってきて、後悔しても仕方がない、と思うからでしょうか。後悔することは、若いということ、とも書いてあります。
「我、事において後悔せず」といったのは、宮本武蔵。先の本の説に照らせば、このことばを発したときの武蔵は高齢だったのかな、と思って調べてみました。高齢とはいえなかったですが、病に伏せ、おそらく死を覚悟していたころのことばのようです。
剣の道を極めた武蔵は、ものごとに執着することから離れ、その域から突き抜けた、達観したことで後悔ということからも解放された、と初めてこのことばを知ったとき、思いました。悔いを残さないまで事にあたったのか、事にあたっても悔いを悔いとは思わないほどの精神性をもったのか、悔いはしてもそれを次の事にあたる肥やしとして活かしたのか、はたまた死期が迫っていたからなのか、…。いろいろの解釈が考えられそうですが、武蔵に会ったことがないので事の真意はわかりません。
霜降も過ぎ、来年の手帳を買いました。買った手帳に今年の名言集が載っていました。
「お前、一年前の悩み言える?」。
武蔵には悪いけれど、後悔とは違うけれど、わたしにはこちらのほうがなんだかすっきり入ってきます。今も後悔はします。それはまだ若い、ということにしておきます。