プロ

 「お釣りはないよ。釣り銭がないからね」と言われたときは、びっくりしました。何十年も前ではありますが、ロサンゼルスのバスでの出来事です。

 ブラジルのリオのバスは、定時に来ません。というより、バス停がない。だから、いつ来るかわからない。バスが来たら、手をあげて停めます。手をあげ遅れると、容赦なくバスは行ってしまいます。

 日本の電車ほど正確に時を刻むものはないのではないか、と思います。某地下鉄では、運転手は計器を見ずに今何キロで走っているかをピタリと当てる、そこまで訓練するのだそうです。

 

 北陸新幹線の運転台の窓にとりつけるためにガラスを曲げる工場が、テレビで映されていました。何層にもなるガラスを熱を加えて曲げます。1回目。1か所に空気が入りました。2回目、3回目、…。5回目でやっと完成。でも、工場長はそれを割りました。

 

 プロ野球のヒーローインタビューでは、選手が「ファンのみなさんのおかげです」というようなことを言いますが、「グランドキーパーの皆さんのおかげです」とは聞いたことがありません。オリンピックなどの選手でも、「コースの整備係の人に感謝します」とかは耳にしません。

 

 件の工場長は、12回目でオーケーを出しました。曰く、「いいものをつくるのがプロではない。人を幸せにするもの、人に感動を与えるものをつくるのがプロだ」。

 私を含めておそらく人は、今あるものが当たり前にあるものと思っているところがあるように思います。でも、私たちの幸せを願い、感動するものをつくることを心に据えている多くの職人さんがいる。ほとんどその声を聞くことはないかもしれない感謝の声も、人が不自由なく活動できていることを垣間見ることで自分の使命に置き換える。それがプロにとっての最高の喜びなのかもしれません。

 プロになるということ、プロの職人になるということ。そこには技術だけではない、技術を身につける過程で重ねてきたものの重みがあるように思います。それがプロであり、プロの職人なのだろうと思います。