動いて、海に入れ
今、Keith JarrettのThe Koln Concertを聴きながら、この文章に向かっています。
2ヶ月前に書いたブログ「時には海を見よ」は、立教新座中学校・高等学校の校長である渡辺憲司先生の「卒業式を中止した立教新座高校3年生の諸君へ」から思ったこと、感じたことを書きました(http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/)。
今年の賀状の文章には、マルコの福音書 第11章23節から「動いて、海に入れ」を使わせていただきました。
「だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」
昨年から続く私の鍵となることばは、海のようです。
「さんずいに人の母と書いて、海と読む」とだれかが言っているのを聞いたことがあります。
人類の源、生命が生まれた本が海だとすれば、今、自分は海に向かうことを求められているのかもしれない。それは回帰ではなく、原点に戻ることではなく、新たな海を見、新たに海に入ることを求められている、そんな気がしています。
「海」は「生み」に通ずるのも、なにか示唆するところがあるように思います。
聴いているThe Koln Concertの音色も、なぜか海のなかで胎動している自分を感じます。
もうすぐ曲が終わります。