松影の暗きは
自分ではそれほど高ぶらない人間と思っているのですが、なにか琴線に触れるようなことが起こると激昂してしまうときがあります。それは自覚しているつもりですが、その感情をマネッジすることより言動が先行してしまっている。いけないと思うのは、それが自分の外に出て、自分の内に向かない。
松影の暗きは月の光かな
月が明るければ明るいほど夜は昼のようになる。そして、月が明るいほど照らされたものの影は暗くなる。月の明るさを真実と信じるならば、そこに向かって近づこうとすればするほど、自分にできる影が暗さを増していくことに気づかない。考えてみれば、月の光が真実ならば、松にできる影も真実なわけです。そうすると、月の光だけを真実とするのは、たんなる思い込みか、独りよがりではないか。
百尺竿灯一歩を進む
百尺の竿のてっぺんまで登り、さらにそこから一歩を踏み出せ、という意味だそうです。一歩を踏み出すと、落っこちてしまいます。しかし、そこにとどまっていることも死を待つことに変わりはない。そこで一歩を踏み出せ、そうすれば必ず死の底から蘇ることができる、そこにはこれまでとはまったく違った世界が広がり、新しい生命の根源にふれることができる。
2011年も折り返しの時期にきました。
自分の影を月の光と同じように見据え、身を投じる、その自分に出会うのを楽しみにします。