身を捨ててこそ
プールに通い始めて4ヶ月が経ちます。
もともと母親の水中ウォーキングにつきあったのが始まりですが、ただ見ているだけではおもしろくないので泳ぐことにしました。とはいうものの、平泳ぎしかできません。クロールで延々と泳いでいる人を眺めるのを羨望のまなざしで眺めていました。
友だちから本を借りたり、YouTubeの映像を参考にしながらクロールに取り組みました。それでも身体は沈み、バタ足は前に進まず、息継ぎをすれば水を飲む、この繰り返しで何日も過ぎました。
今日、ふと気づいたことがあります。
自分を水に預ける。
すると楽なのです。
力でもって懸命に進もうとしたり、水を飲まないように顔を上げようとしたり、疲れないように意識的に身体を脱力させようとしなくても、水に預けると自然と力みがない。身体が沈むときには沈むにまかせ、浮こうとも進もうともしない。すると身体は浮き、進む。
身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。
このごろ、このことばが常に私の頭をよぎります。
自分が積み重ねてきた「澱(おり)」が溜まりすぎて、それが「自分」をのっとってしまっている。下手をすると、のっとられている自分を無理やり「自分」にして落ち着こうとしている。
さかなはきっとどうやったらうまく泳げるか、どうしたら速く進めるかなどと考えることなく泳いでいるのだろうな。きっと水と一体となっているのだろうな。
プールがだんだん楽しくなってきています。