宮本武蔵?
先日テレビで木村拓哉主演の「宮本武蔵」を見た。
私にとって内容はイマイチって感じだったけど、最後のほうで西田敏行が言った言葉が印象に残った。「克服したんですか?」と言う問いに「克服なんてできない。白でも黒でもない灰色に留まることが大切なんだ」という言葉です。つい最近のことなので見られた方の中には、「少しセリフが違うんじゃない」という方もいらっしゃるかもしれませんがお許しください。
私は若いころ白黒つけるのが大好きでした。特に好んでいるという意識があるわけではなかったのですが、はっきりとした性格だったのでそれが当たり前でした。ぐずぐずといつまでも悩んでいるのは苦手で、「まあこれでいいか!!」と、どこかでいろいろなものを切り捨てていたのだと思います。子どもができて自分ではどうすることもできないことがたくさん起こってきて、白黒つけたくてもできないことがあるようになりました。そしてやっと気づいたのです。灰色に留まることから得られるものが多いことを。
白黒決めればひとまず終わりにできます。でも、灰色に留まっていることは、その中にいつまでも居続けるということです。どんなにそれがスッキリしないことであっても、そこにいれば変化にも気づけるし、そこにいる人と一緒に何かをすることもできます。
私が人と関係をもつ時に大きなテーマとしていることの1つに「共にあること」ということがあります。灰色に留まることこそ「共にあること」なのかもしれないと思うのです。
先回、先々回で、岡田さんと水野さんがアサーションについて書いてくれています。私もアサーション繋がりで、この灰色に留まることを考えてみたいと思います。私は灰色に留まることは、ある意味アサーティブなことだと思います。アサーションとは主張するということですから、白は白、黒は黒とはっきり主張することとも考えられますが、私はアサーションにはやりとりをすることが不可欠だと思うのです。灰色ゾーンにいて「白かもしれない黒かもしれない」とやりとりをしていくことがアサーティブだと思うのです。白ゾーンから白を声高に主張すればアグレッシブ、黒ゾーンですでに黒にいるからと何も言わないのがノンアサーティブではないでしょうか。
私は比較的アサーティブな人だと勝手に思っているのですが、こう書いていて自信がなくなってきました。というのは、私は灰色ゾーンにいるということを人に伝えるのが苦手だからです。よく人に白と決めているだろうと思われてしまったりすることもあります。ということは、きちんと相手に自分のことが伝えられていないということで、ひょっとしたらアサーティブではないのかと思うのです。
私がアサーティブな人であるかどうかは別としても、灰色に留まることには大きな意味がありそうです。宮本武蔵は剣の道を究めることで、自分自身をも見つめていった人だと聞きます。その人生に影響を与えた一言である「灰色に留まること」を私もしばらく考えていきたい。