「Tグループ」と「経験と教育」(デューイ)第5章「自由の本性」
私なりですが、ラボラトリー方式の体験学習とりわけ「Tグループ」と「経験と教育(ジョン・デューイ著/市村尚久訳、講談社学術文庫、2004)の第1章「伝統的教育対進歩主義教育」、第2章「経験についての理論の必要」、第3章「経験の基準」、第4章「社会的統制」とそれぞれ重ねて、ブログに書きました。この書籍,Tグループのファシリテーター(トレーナー)だけでなく、さまざまな教育に関わる方、組織開発に関わるコンサルタントなどの方に、広く学びの刺激を与えてくれそうです。
ぜひ、本著をお読みいただくことをおすすめします。
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今回は、第5章「自由の本性」をご紹介しながら、体験を大切にする教育にかかわる方のお役に立てば、幸いです。
デューイは、「永遠に重要である唯一の自由は知性の自由であり、すなわち、本来的に価値が備わっている目的のために観察や判断がなされる自由である。」と述べています。これはこの章の最後に書かれています「思考することは、このようにして即時的に行動することを延期することになるが、同時に、観察と記憶の結合を通じて、衝動の内的抑制に効果を挙げているのである。このような結合こそ、反省するということの精髄である。」と述べていることと通じると考えられます。
私たちは、自然に発生する衝動や願望で、行為は始まりますが、その衝動や願望だけで突き進む行動だけでは成長はなく、なんらかの形で一度立ち止まり、その思いを再構成したり改造することによって知的な成長は生まれるのだと言ってくれています。思考の活動とは、即時的な行動を一度延期し、内省する時をもつことだと考えており、そのことがとても大切なのだと考えています。
デューイは、制限から解放される自由は、いろいろなことを成し遂げる力として自由をたたえておくべきだろうと述べています。それらの力は、「目的を形成する力であり、賢明に判断する力であり、願望を実践したことからの結果によって願望を評価する力であり、選定された目的を実施する手段を選択し、秩序あるものにする力である。」と考えています。いかに内省するか、その内省の時が、上述の力の育成にも役立つだろうと考えています。
年齢に関係なくというか、年少の子どもにおいてさえも、「静かに反省するため、しばし合間の時間が必要である。しかし、この短い合間が、見た目に一段と明らかな活動に費やされた時間の後に続くとき、またこの短い合間が、頭脳のほかに手や身体の他の部分が使われるさいの活動の期間に獲得されたものを組織立てるために用いられるときにのみ、この合間が本物の反省の期間になるのである。運動の自由もまた、正常な身体的・精神的健康の手段として重要である。」としているのです。いかに体験活動の合間に内省の時間を組み入れていくか、このことはとても大切な時になるのです。
こうしたことからも、ちょっと大胆ですが、活動→活動→活動と続くようなプログラム構成よりは、活動→内省→活動→内省→活動、そしてそれは、体験学習のステップに示されるような、活動(体験)→立ち止まる(内省と観察)→考える(分析)→次の行動に向けて取り組みを考える(仮説化)といった内省の時間が必要なるのだろうと思います。このことは、Tグループ線ションなどを組み入れた合宿形式の研修においても同様で、Tグループセッションばかりが続くプログラムよりは、一日の中で長く休み時間を組み入れたような長い研修プログラムが必要になると考えています。そのようなことから、私は、Tグループセッションを組み入れた研修は、5泊6日ぐらいは要するプログラムで実施したいのです。
そして、デューイは、「活動の外的・身体的側面は、内面的な活動、すなわち思考や願望や目的の自由から分離することはできない。」と述べ、据え付けられた机や合図で行動を支持されるような学習者の環境では、「生徒の知的・道徳的な自由に大きな束縛を与え」ているのだと考えています。それゆえ、「外面的な自由度が増大していくさいのいま一つの重要な利点は、まさに学習過程の本質それ自体のなかに見いだされる。」と考えています。
なぜなら、「外的自由の増大がもたらす潜在的利点。第一に外面的な自由が増大するという現象がなければ、教師は実際問題として、自分が扱っている個々の生徒について知識を得ることができない。強要された静粛や黙従というものは、生徒たちが自分たちの真の本性を明示するのを妨げる。」からだと考えています。このことは、第4章の「社会的統制」のところでも述べましたが、学習者がいかに自由に自分の行動の振る舞いができるようになるか、それは、教育者が十分に配慮し外的環境づくりに励むと同時に、学習者との関係の中で自由で相互信頼の関係を創っていくことが究極の命題と言っていいのかもしれません。
このことは、現在の企業内の活動においても、学校教育場面においても、また看護医療従事者が勤務する施設においても、同じようなことが言えるのではないでしょうか。いかにその組織の中で従事する人々が自由を得て、内省する時間をもてるかかわりになっているかがとても重要になるのでしょう。各場面での支援者は、このことをしっかりと心にとめておき実践することが大切になるでしょう。