「Tグループ」と「経験と教育」(デューイ)第6章「目的の意味」

私なりですが、ラボラトリー方式の体験学習とりわけ「Tグループ」と「経験と教育(ジョン・デューイ著/市村尚久訳、講談社学術文庫、2004)の第1章「伝統的教育対進歩主義教育」、第2章「経験についての理論の必要」、第3章「経験の基準」、第4章「社会的統制」、第5章「自由の本性」と読み進めてきて、ブログに書きました。この書籍,Tグループのファシリテーター(トレーナー)だけでなく、さまざまな教育に関わる方、組織開発に関わるコンサルタントなどの方に、広く学びの刺激を与えてくれそうです。
ぜひ、本著をお読みいただくことをおすすめします。
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今回は、第6章「目的の意味」をご紹介しながら、体験を大切にする教育にかかわる方のお役に立てば、幸いです。

デューイは、「健全な本能によってこそ、目的を組み立て、その目的を効果的に実行に移す能力が自由に発揮できるようにと、自由と能力とが同一化されるものである。このような自由は、次には、自制と同一化されることになる。なぜなら、目的を形成しその目的を実施する手段を組織立てるのは、知性のはたらきによるからである。」と述べ、学ぶ方向づけとしての目的の大切さ、そしてその目的を成就するために働かせる知性の力を大切に扱おうとしています。そして、「伝統的教育においては、生徒の学業のなかに含まれている目的を構成するさいに、生徒が積極的に協力することが保証されていない。このことが伝統的教育の最大の欠陥である。」として、逆に言うと、いかに生徒自身が目的を自分たちの力で作り上げることができるかが教育における大きなポイントになるのではないでしょうか。

デューイは、「目的や目標の教育上の重要性が強調されればされるほど、その目的とは何か、その目的はどのようにして生じたのか、またその目的は経験のなかでどのように機能するのか、といったことを理解することが一段と重要になってくる。」と述べ、衝動的な目的や意図からさらに知性の働きを生かし、なぜその目的が生まれたのか、そして最終の目的はどのようなところにあるのかを明確にすることが大切であると述べています。

デューイは、「知性の作用には、第一に、客観的条件と環境とを観察することが求められる。というのは、衝動と欲望はそれ自体で結果を生むことはできなく、周囲の状況との相互作用や協同によってのみ、結果というものが生み出されるからである。」と述べ、いかに学習者と他者や環境との相互作用が結果を生み出していくか、まさに社会構築主義の考え方の一端がここにあると言ってもいいのではないかと思います。

デューイは、「目的の形成は・・むしろ複雑な知的作用としてなされる。(1)周囲の状況の観察、(2)過去の似たような状況で起こったことについてお知識、その一部分は回想によって得られた知識、また一部分は広い知識をもった人からの情報・忠告・警告から得られた知識、(3)それら得られた知識が内を意味するのかを理解するため、観察されたものと回想されたものとを結合する判断力。」と述べ、この適切な目的の形成の中に教育の本質があると言ってもいいのではないかと思われます。

デューイは、「伝統的教育は、個人的な衝動や欲望が、行為の原動力として重要性のあることを無視しがちである。」と述べ、衝動性や欲望が行動の原動力であると認識する必要性を強調すると共に、「教師の仕事は、衝動や欲望が生じるや、それを好機に利用する点を見定めることである。」として、学び手の中に起こる行為への原動力となる衝動や欲望の発見は重要なポイントになると言えるでしょう。

デューイは、「自由は、目的が発展するさいに、知的な観察と判断とがはたらいているところに存在するので、生徒が知性を実地にはたらかせることができるように、教師によって与えられる指導は、生徒の自由を制限するものではなく、むしろ自由を助長するものである。」として、自由を助長することによって学習者の知的な観察と判断が働き、知性をは鱈かsdルことができるようになるというのです。いかに、自由な環境を学習者と共に創ることができるかが、学習者の学びに影響を与えると考えられているのです。

デューイは、「教師の職権を乱用して、生徒の活動を、生徒の目的というよりは教師の目的を表明している方針に強制的に追い込むことは可能である。このような危険を避ける方法として2つある。」として教師が意図的に生徒を教師が思う報告に導いてしまう可能性があると述べています。いかに教師が生徒に働きかけるか、その時の配慮がかなり大切になるのです。そのときの視点として、2つの視点が圧力をかけない方向に役立つだろうと述べています。それは、「第一には、教師は自分が教えている生徒の能力、要求、過去の経験について、知的に気づいていなければならない」とまず、教師の感受性の問題が挙げられます。次に、「第二に、集団の成員である生徒が役割を分担し、一つの全体へと更なる貢献がなされ、組織立てられていくような示唆によって、その示唆を教育や企画にまで発展させようとすること」を述べています。いかに自由な、そして機能的なグループに成長しているかがとても大切であると述べているのです。

教育に関わる「計画と言うものは協同事業であって、指図ではない。」と述べ、いかに学習者相互にやりとりが行われるかがとても重要な視点になるのです。ただ、指図であることを恐れるのではなく、「教師は受け取りもすれば与えもすることをためらうものではあってはならない。」と一方では述べています。いかに、教師が学習者の中で自由にいられるか?また、相互依存の関係、信頼の関係を創り出せているかがとても大きな教育環境になることを伝えようとしてくれているのではないかと思います。

本章の最後には、「要点は、目的が社会的知性の過程を通じて成長し、形成されるということにほかならない。」と述べています。目的をどのように学習者が展開することができるようになるかが教育のとても重要な課題と一定かもしれません。