「Tグループ」と「経験と教育」(デューイ)第3章「経験の基準」

私なりですが、ラボラトリー方式の体験学習とりわけ「Tグループ」と「経験と教育(ジョン・デューイ著/市村尚久訳、講談社学術文庫、2004)の第1章「伝統的教育対進歩主義教育」、第2章「経験についての理論の必要」とそれぞれ重ねて、ブログに書きました。この書籍,Tグループのファシリテーター(トレーナー)だけでなく、さまざまな教育に関わる方、組織開発に関わるコンサルタントなどの方に、広く学びの刺激を与えてくれそうです。

ぜひ、本著をお読みいただくことをおすすめします。
=========
今回は、第3章「経験の基準」をご紹介しながら、体験を大切にする教育にかかわる方のお役に立てば、幸いです。

「経験的連続性といったカテゴリーは、教育的に価値のある経験とそうでない経験との間を識別するためのあらゆる試みに関わりをもっている」と考え、経験し成長することは、知的にも道徳的にも発達するモノとしての成長することは、連続の原理の一つの例証に過ぎなく、成長はさまざまな方向に展開すると考えています。強盗することを学び高度に熟達した強盗人間に成長することもあると述べています。いかに現在の経験が未来の経験、それも道徳的にも知的にも成長する経験につなげることができるかが大切になるのです。経験がどのような方向をとっているのかを知ることは、教育者の仕事であると考えています。

また、経験というものは、いずれも動きゆく動力になると考えています。経験が好奇心を喚起し独創力を高める方向に動き、強烈な願望や目的を創り出すならば、その経験は連続してきわめて様々な方法で動いていると考えているのです。

これらのことから、今目の前の学習者が何を求め、何をしたいと考えているかを大切にすること、そしてそれを原動力に未来に向けて適切な経験を準備することが教育者の大切な仕事であると考えています。

そのためには、「教育者は未成熟者個人を個人として共感する理解力をもたなければならない。その共感力が、学習している人々の精神のなかで実際に進行しているものについてのアイディアを、教育者に与えてくれる。」として、このような共感する能力が、なによりも教育者に求められるのです。いかに学習者の気持ちや意図を共感的に理解し、それを促進するための実現可能な目的にできるような働きが教育者には必要になるのです。

デューイは、あくまでも「経験を引き起こす源は、個人の外にある。」と考えており、教育者は、価値ある経験の形成に寄与するにちがいないすべてのものが引き出せるように、彼らを取り巻く環境をどのように利用すべきであるかを知らなければならないとしています。いかに学習者の関わる人や物や概念などさまざまな環境要因を教育者は準備していくことがとても大切になるということです。

Tグループをはじめラボラトリー方式の体験学習を実践する教育者にとっては、いかに学習者を共感的に理解し、その学びの方向性をともに考え、その方向に向かうための環境を創り出していくのが重要な働きと考えられます。

以上のような経験の連続性の原理に従った基準で、学びのための経験を考えていく必要があります。一方、「個人が世界のなかで生きる」ということは、具体的には、個人が状況の連続のなかに生きていることを意味しており、「なかに」の意味は、相互作用が個人と対象物あるいは他の人との間で進行していることを意味していると考えています。「『状況』とか『相互作用』という概念は、相互に分離しては成り立たない概念である」とデューイは述べています。「相互に能動的に結合している連続性と相互作用とが、経験の教育的意義と価値をはかる尺度を提供すると考え、教育者の関心の的は相互作用が生じる状況であり、この状況に個人が一つの要素として入り込んでこそ、その時点ではじめて個人は具体的な自分自身であることになる。」と考えています。

このことは、まさにラボラトリー方式の体験学習(Tグループ)体験の中に、いかに学習者個人が関与(コミット)できるような環境(場)を創り出すのが教育者の仕事といえるのでしょう。教育の現場において、未来という視点を考慮した環境作りが重要になると考えています。未来の視点を大切にした学びの場づくりが大切だといっても、あくまでも成長あるいは成熟としての教育は、常に未来のために今を犠牲にするのではなく、常に現在の過程を考える必要があると強調しています。まさに「今ここ」の体験を大切にするということです。

以上を、第3章「経験の基準」のまとめとTグループなどラボラトリー方式の体験学習の実践者としてのファシリテーターの働きのヒントにしたいことを記してみました。