プロセス・エデュケーションが必要な訳(01)

一昨日の中日新聞に、ソフトウェア・電子回路設計のATシステム(浜松市中区)によって、お茶を入れる際のオフの温度と時間をはかり、飲みごろを知らせてくれる計測器「ティータイム」を開発した旨の記事が掲載されていました。
温度計とタイマーを組み合わせた簡易な仕組みであるとのことです。沸騰したお湯にセンサーを入れ、お湯が設定した温度まで冷めるとブザーが鳴り急須に注ぐタイミングを知らせるようです。続いて、タイマーに切り替わり、飲み頃になると再びブザーが鳴る仕組みです。玉露や煎茶などお茶の種類、急須の素材によって時間と油温の設定を変えることができるそうです。
なんと便利な道具が開発されていくのでしょうか?着実に、ある程度、品質を保証されたお茶をいただくことが、この機会によって可能になると思われます。
ただ、この機会に頼ってお茶をいただくことになると、いつもお茶を飲むときにはこの機会を手放せなくなりそうです。この機会が手元にないと、おいしいお茶を頂戴することが難しくなるかもしれません。
こうしたマシンの開発は、「体験から学ぶ」機会を失っていく(私たちから「体験から学ぶ」機会を奪っていく)ように思えてなりません。「体験から学ぶ」機会が失われると言うことは、学習者が体験を通して考える機会を失っていくことを意味しています。自分の行為をふりかえり、自分の行為に責任を感じ、自分の行為を自分の努力でよりよくしようとする意欲が育たないかもしれないですね。
また、おいしいお茶を間違いなく飲めることを求められ、実現しようとする。このことは、失敗から学ぶこと、失敗を楽しむことを味わい損ねるのではないでしょうか?
近年、こうした便利グッズは、たくさん目の前に現れて実用化されつつあります。こうした便利さの裏に、私たちが失っているもの・ことがあるのではないかと考えることは必要なのではないでしょうか?
自分の体験を内省し、そこに起こるプロセスに気づき、そのデータを分析し、さらによりよくするための仮説化をするといった「体験から学ぶ」ことを大切にする「プロセス・エデュケーション」が今日特に大切になってきているのではないかと考えています。