Tグループとは No.082 誕生から75年さらなる発展のためのパラダイムシフトに向けて:ナラティヴ・アプローチ(Narattive Approach)とは(10):Kouさんの9つの視点(Part_7)

(8)ストーリーには包み込まれないような生きられた経験が、必ず存在する

 「相談に来る人はいろいろな問題を語ってくれますが、いかに支配的なディスコースに沿っていないかの話になります。そのようなプロットにはそぐわない挿話がきっとあり、これを探索していく過程そのものが、ナラティヴ・セラピーにおける「再著述」「共著述」と言われるもので、代わりとなるストーリー(オールターナティヴ・ストーリー)の探求となるのです。」とKouさんは述べています(国重,2013)。

 ここで、「『生きられた経験』とは、その人らしさ、その人の『人となり』を示すことができるようなストーリーのことです。人が自分のことを語る時に、支配的なディスコースを前にすると、非常に薄っぺらな描写しかすることができません。たとえば、「だらしないから」とか「弱いから」というような、ありきたりの言葉で括られてしまう描写しか出てきません。ところが、その人らしさや「人となり」を示すことができる、表情豊かな、厚みのある描写が存在することを示すことができます。」(国重、2013)

 ナラティヴ・セラピーでは、「薄い描写」と「厚い描写」という言葉が使われます。
「薄い描写」とは、人々のアイデンティティや行動の意味を、ひとくくりにして表現する記述の仕方です。例えば、「あの子は、ADHDだから」、「あの人はトラブル・メーカーだから」、「彼女は、シングルマザーなので」といったようにラベルを付けてひとくくりに表現することです。そして、そのラベル付けは、特定の状況において、時には権力を持った人によって定義づけられ、作られたストーリー(ディスコース)なのです。一旦、薄い結論が確立すると、ドミナント・ストーリー(支配的なディスコース)を支持する証拠集めが行われてしまいます。さらには、本人である自分自身も「薄い記述」を通して自分を理解し、自分をそのように語り始めることになるのです。

 一方、「厚い描写」とは、ドミナント・ストーリー(支配的なディスコース)とは別の視点、解釈や意味づけを取り入れた語りが生まれるような問いかけがなされて、その行為の結果に至る過程、努力や意図に光が当たるような会話が生まれるように探求は行われます。ナラティブ・セラピーでは、「当たり前」や「当然」に疑問をもつことが前提にあります。そのためにも、支配的なディスコースにそぐわない挿話を探し、Kouさんの言葉では「ストーリーには包み込まれないような生きられた経験」を会話を通して探し、「厚い描写」を試みながら、オルタナティヴ・ストーリーの構築を行うことを可能にしようと試みるのです。(つづく)