易経から学ぶファシリテーション(07)
■適切に対処する「時中」のタイミングとは■
グループや個人の状況をみながら、働きかけるファシリテーションのタイミングはいつがいいのでしょうか?四季にあった時中、その時に適切な対処をする、ファシリテーションをすることの難しさがあります。自然に季節があるようにその季節を知り、その季節にあった時期に種をまくようにと言われても、いつその行いをすればよいのか、疑問がわきます。
そのことについて、あっこちゃん(2012)は、「兆しを観る」ことだと言ってくれています。このときに、「見る」ではなく、「観る」という漢字を使い分けて紹介してくれています。「見る」とは目に見えるときに使い、目に見えないものを感じとって察することを「観る」と易経では使い分けているのです。
あっこちゃん(2012)の著作の中で、物理学者でカタカムナ文明で有名な楢崎皐月(ならざきこうげつ)さんとの出会いが書かれています。楢崎さんが「潜象は現象に前駆する」と言われたそうです。その時に「易経のいう兆しとはこれだ!」と一瞬にして腑に落ちたそうです。種をまく時期(タイミング)とは、この兆しを観ることです。
易経の「きざし」とは目には見えないけれど感じることができる、察することができることです。このことは、グループ体験のファシリテーターにとっても大切な視点になります。まさに目の前にいるメンバーやグループの中に起こっていることを自分の目で見て、そのメンバー小さな動き、変化に気づき、その人の中で起こっていること(プロセス)やそのグループの中で起こっている(プロセス)など目に見えない現象を感じとり、察することがどれほどできるかが、大きな仕事になります。このことは、ファシリテーターの感受性と言ってもいいでしょう。ファシリテーターにとってこの兆しを観ることができる力(感受性)が豊かであることが大事になります。
この兆しを観るための、目に見える一人ひとりの動きの変化を丁寧に見て、観ることができるようになりたいものです。