部分と全体

今日は京都にいます。ホテルに戻るタクシーの中で、「観光客が減っていて、普段なら到底こんなに早く移動できないよ」と運転手さんからお聞きしました。日本人だけでなく外国人観光客もかなり減っているとのこと。最近知り合いから聞いた話では、震災後、留学人学生が母国に帰ってくるよう強い働きかけがあり、
名古屋では生活に支障がないことを説明してもなかなか理解が得られず、一旦帰国することになったそうです。名古屋以西の大学でも留学生が多数帰国していると聞きます。
外国から見れば日本という国が現在とても大変な状況だという認識は最もで、同時に日本に対して支援や応援を送ってくださっていることはとてもうれしいと感じます。その一方で、留学生帰国の話を聞くと、安心して滞在することができない日本という見方に一部なってしまっていることは少し残念に感じました。
そう考えながらふと自分が海外のさまざまなニュースを耳にしたとき、その国の治安や状況を全体のイメージとしてとらえていたことに気づきました。丁寧に見ていくと、その事実は「全て」ではなく、「一部分」だけで、その「一部分」のみで「全体」を決めつけてしまうことが多いように感じます。部分と全体につい
て、ついつい区別せずに見てしまうことが多いようです。事実を正確に知ること、そしてそれをどう理解し、行動にうつすか。誤解したままで、とらえてしまっていることがいかに多いことか。陥りやすい罠に気をつけて、丁寧に物事を見ていきたい。
そしてそれは人を見るときと共通点があるのではないでしょうか。相手の際立った印象や特徴をその人そのものとしてとらえてしまう。そのとらえ方が、相手をより深く知る際の妨げになったりすることもあります。さらに人は変わることができるという面も面白いところ。思い込んでいた相手の新たな一面が見えること
はとても新鮮でうれしい体験だったりします。
大震災で私たちには本当にさまざまなことが問われていると感じます。私に何ができるのか。今至るところで起こりつつある、支援の動きを感じながら、何かを耐える時間としてではなく、新しい智恵を生み出していく時間として一歩ずつ歩めたらという思いでいます。
岸田美穂