引き合う

 急に身体がそれを欲する時があります。
 それは、時には甘いものであったり、酸っぱいものであったりといろいろですが、身体がそれを求めます。
 あるいは、身体がそれを求めていないのに、なぜかスーパーでそのものが目に入ってくるということがある。立ち止まるとそこにココアのパッケージがあり、ああ、今ココアが自分を呼んでいるんだと思うことがある。棚にいくつかあるアボカドのひとつが私を見て、もってけ、といっている。だからといってそのアボカドが必ずしもあたりというわけではないのですが、それが私を求めている。
 気もちやこころの状態もきっと影響があると思います。ここ数日、キース・ジャレットのケルンコンサートがしばらくの間をおいて耳をとらえています。少し前は古今亭志ん朝の落語から離れられませんでした。
 自分から欲して求めることとともに、対象が自分を求める、その相互の引き合い-引力のようなものがきっとあるのだろうと思います。それは物ばかりでなく、事象や経験も当てはまるのではないか、そう思います。自分からいくらもがいて求めても手に入らないことが、ある時すっと自分の懐に入っている。自分がもともとそんな状況を望んでいたわけではないのに、その状況に身が置かれて初めてその意味や役割を知る。自分のほうは意識的意図的ではないので、相互の引き合いとはいえないのかもしれませんが、でも自分がそこに呼び寄せられている、そのことに自分が気づいていないだけのような気がします。
 これは誰の差配か。
 それはともかく、今自分はなにに呼び寄せられているか、それに感を働かせるほうが楽しそうです。
 では、今自分はなにに呼び寄せられているかと感を働かせると、どうもモンブラン・ケーキが呼んでいるみたいです。
 秋になりました。