水戸

 「高知からいらっしゃったのですか」「いえ、尾張徳川です」
と答えて水戸の時間が始まりました。
 実際にはお隣の勝田での仕事をいただいての茨城入りだったのですが、名古屋からだと朝早く出ても時間的に厳しいことから、ご厚意で前泊させていただけることになりました。人生二度目の茨城入りです。
 一度目は遠く大学生の頃、しかも配送のアルバイトで訪れたきりです。覚えているのはそれが牛久という地名だったこと、土砂降りの中での学校の化学実験台の配送だったこと、廊下を泥だらけにして怒られて、翌日出向いて床掃除をさせられたことと、あまりいいイメージが残ってはいません。もうひとつ、地元のおばあちゃんに話しかけられて、まったく理解できなかったことも思い出しました。
 なぜ水戸に御三家のひとつがおかれたのか、不勉強でわかりませんが、「民と偕(とも)に楽しむ」との名で創設された偕楽園のいわれを聞くだけで、水戸徳川家がどんな街をつくり、水戸の街がどのような人を育んだのかをうかがい知ることができます。
 「子ののたまわく,知者は水を楽しみ,仁者は山を楽しむ。知者は動き,仁者は静かなり。知者は楽しみ,仁者は,寿(いのちなが)し」という論語の一節から名を借りた好文亭の三階にある楽寿楼から千波湖の眺めを見ると、水戸の人々はきっと鷹揚な気質を備えているのだろうと感じます。流れてとどまることのない、常に変化する水を楽しむのか、それともどっしりと腰を据えた安定している山を楽しむのか、仁者は長生きをするだろうけれど、知者はその時の学びに自分の全身全霊を注ぎこみ、楽しむ。どちらがいいのかわかりませんが、こうやって足下に広がる公園と千波の水を見ると、そんなことはどちらでもいいのではないか、という思いも出てきます。
 この日はとても暑く、なかばへたり足で宿に戻りました。ただ、観光協会の人はなぜ高知から来たのかと私に尋ねたのか、未だに疑問が残り、知者にも仁者にもなれません。