Tグループとは No.003 初Tグループ体験直後にトレーナー?!

 南山短大着任を前に、Tグループ[JICE(Japan Institute of Christian Education (立教大学キリスト教教育研究所)主催]に参加するように義務づけられていることは、当時何の疑問もなく参加しました。今から考えると、南山短期大学人間関係科ではラボラトリー体験学習<Tグループ>のスタッフワークができることが、大学教員の資質として求められていたこと、そのためにこうした教員になるためのシステム化がなされていたことはかなり革新的な高等教育機関であったことはまちがいないでしょう。

 それにしても、大胆で驚くことが2月開催のTグループに参加後名古屋に帰ってからすぐに起こりました。翌月の1979年3月開催のニンカン6期生のTグループ合宿にトレーナー(教員)として参加するように言われたのです。返事に躊躇しながら「トレーナーの教育も受けていなくて、どのように動けば良いのか?わからないです。」的な回答をしたと思います。その時には、ニンカンの先生からは、「経験豊かなトレーナーと組むことになるから、大丈夫ですよ。」的な話をしていただき、出かけることになりました。

 驚くことばかりの合宿でした。100名ほどの学生が、Ⅰグループ10名グループに分かれ、トレーナースタッフは、トレーナーと教員の2人体制でグループに入ります。トレーナースタッフが20名ほど、事務局スタッフが2名でしたか。1日の全セッション終了後、各グループ(10グループ)のおおまかな状況報告を行い、明日のプログラムを検討して、最終決定した後に、翌日のプログラムの資料づくり始まり、12時はいつも過ぎ、準備終了が翌日に突入をすることはほぼ毎日でした。そして、若かったのですが、準備を終えてから、アルコールをいただき、さらには話し合いに興じていました。いかに100名の学生のラボラトリー体験学習(Tグループ)運営がハードなことか、それも私は当時27歳でしたが、他のスタッフの方は、50代、60代、70代の方もみえたのではないでしょうか。いかに各グループ各セッションでどのようなことが起こっているのかを共有し、できる限り多くの学生に適切なプログラムを翌日提供したいという思いがあったのだろうと思います。その学生に対する思い、教育熱はただ者ではありませんでした。ただ、私には、一つ一つの出来事が目新しく、驚きの連続でありました。

 その中にあって、一番大きな体験はやはりトレーナースタッフとして入ったTグループ体験でした。グループに老練なトレーナー(Aさん)とご一緒に担当させていただきました。1ヶ月前に参加者という自由な身のメンバーとして参加した時とは全く異なり、トレーナースタッフであるということが頭にずっしり覆い被さり、発言もほとんどできないほどの不自由このうえない状況の中で過ごすことになりました。

 特に、ご一緒させてもらったAさんのありようはなかなかデーンと座られ、堂々としているというか、怖さを感じるほどでした。学生にとってみると、Aさんの一つ一つの言動がビリビリと感じるというか、セッション中はAさんの様子を見ながら、Tグループセッションを過ごすという状況だったと記憶しています。私も学生と共に、Aさんの言動に一喜一憂しながら時を過ごしたことを思い出します。初日から2日間ほどは、Aさんはほとんど言葉を発しないで、セッションの終わりに一言二言話し、捨てゼリフ的な発言にメンバーはドキドキザワザワでした。もちろん私も学生とドキドキザワザワでした。
 メンバーが気にしているAさんからメンバーの言動について指摘を受けるとそれに対応するのに必死になったり、優しい言葉を発してもらえるとホッとしたら、また何をするところかわかってそれに取り組むとOKのメッセージをもらって安心したような記憶が私の中に残っています。あくまでも私の記憶ですので、Aさんから見れば異なる視点からのかかわりであり、それは本当ではないと言われるかも知れません。

 結局、全セッションが終了後、グループのメンバーとトレーナーと一緒に腕を組んで「やったー!!」という感じの写真のショットが残っています。終了直後は、Aさんとメンバーとかなり強い高揚感を共有したことは間違いない体験でした。

 しかしその後、何がそのような関係を創ったのか?メンバーは何を学んだのか?トレーナーは何をサポートしようとしてくれたのか?私にとって、「Tグループとは何か?」「トレーナーとは何者か?」を考える重要な原点の体験になりました。(つづく)