Tグループとは No.002:私のTグループ初体験

 私がTグループに出会った(初参加した)のは、1979年2月清里清泉寮でした。年月が経つのは早いもので、40年前です。
 1977年4月から2年間南山短期大学人間関係科非常勤講師として、体験学習の授業を担当しており、1979年4月に常勤講師として着任予定になっていたのです。非常勤時代に体験した南短ニンカンでの授業はなんとも言えない体験の連続でした。教員チームで1つの担当科目を開講するもの(チームティーチング)で、例えば4人の教員で担当している場合には、100名の学生をひとまとめに集めて、4人が担当したり(もちろん、お話をする時には一人の教員が担当)、4つのグループに分かれて、一人ひとりの教員が担当する形態を取ります。大学院時代学んだ社会心理学の諸理論を紹介しようと意気込んでいた私に、だいたい2コマ続きの授業でしたので、当時学科長であったメリット先生に、講義は少なめに、なくてもいい的なお話をされ、私は何をしに来たのか?と思うことが多々ありました。

 90分×2コマ=180分の授業でした。そのためのミーティングが結構長いのです。2コマの授業のために、授業終了後に2コマ以上のポストスタッフミーティングを行い、授業のふりかえりと次回に向けてのプログラムづくり。ほとんどは、もう1日集まり、ミーティングが続くという事態でした。2コマ授業の給料で、2日か3日か働かされているとよく不満を漏らしていたものです。でも、教育への熱はただ者ではなく、一人ひとりの学生への配慮は、教育現場で仕事をしたいと考えていた私はニンカンに採用されることになりました。

 話は戻ります。ニンカンでは、採用される前にTグループに参加することが義務づけられており、Tグループに参加することになりました。当時、同期の同僚も一緒に参加し、別のグループでした。

 初参加のTグループ、本当に何をするところか?疑問だらけの体験だったと思います。「感受性訓練」という書籍を手にして行ったものの、見ることもなく、連日新しい体験の連続でした。その中で、今思い出すことは、1つは、「今の気持ちは?」とよく尋ねられたように思います。当時、同じグループ中で「こんなことをしている場合ではないから、俺は帰る」と某有名高校野球部の監督さんが帰られようとするのを引き留めたことも1つ思い出されることです。最後まで参加されて、グループ体験の中で相手を大切にすること気持ちを大切にすることなどを確認し合って帰られました。甲子園に出てきた時には特別のサインを送ることになっていましたが、残念ながら数年甲子園には現れませんでした。ただ、数年後、高校野球界での活躍は素晴らしく、近年功労者として表彰されるまでになられています。

 今思い出す、私のTグループ体験の2つの出来事(学び)があります。
 私にとって、Tグループ体験は、自分の心の中で、「気持ちがある」ということ「その気持ちが刻々と変化する」ということ、「気づくこと」とはこういうことか、と、「気持ち」「気づき」ということを自らの体験の中で明確にもてたということがとても大きかったと思います。これまで非常勤時代に、体験学習を行い、ふりかえり用紙に「気持ちは?」「気持ちの変化は?」「気づいたことは?」などと問うていましたが、それがいかに形式的だったかを思い知らされた次第です。Tグループは、人と人とのかかわりの体験の中で生まれる気持ち、考え、行動の仕方など、グループの中での自分の存在のありようを主体となって感じ、学ぶ場所なのだろうと思います。

 二つ目は、グループの中での仲間の存在です。グループの中で、メンバー全員と何か楽しいことや活動を一緒にしたい、したいと願い、みんなにいろいろと提案している自分がいました。それがかなわないことにがっかりしながら、目の前のメンバーと関わっていたと思います。そうして後半に入り、引きつづき「何かやろうよ」「何かやろうよ」と話し続けている時に、フッと目の前にメンバー全員から『手が出し延べられている』のを見た感じ(というかそんなふうに本当に見えたような)瞬間がありました。そのシーンを目の当たりにして号泣のつんつんでありました。自分が探して探している時に見つけることができず、そのことを諦めかけ手放した時に、目の前にサポーティヴに関わってくれているメンバーに気づくというこのシーンは、今でも忘れられない体験になっています。「自分の欲求ばかり押しつけていた自分」、「相手の思いや気持ちに気づけ!!」、「自分の思いは諦めず追いかけろ!!」などこの体験からいろいろな学びを得ることができました。

 迷いながらの初参加でしたが、今でもその体験は生きています。(つづく)